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アーリー・ウイン : ミニ英和和英辞書
アーリー・ウイン[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

アーリー・ウイン ( リダイレクト:アーリー・ウィン ) : ウィキペディア日本語版
アーリー・ウィン[ちょうおん]

アーリー・ウィンEarly Wynn Jr., 1920年1月6日 - 1999年4月4日)は、アメリカ合衆国アラバマ州ハートフォード出身の元プロ野球選手投手)。右投両打。
ニックネームは"Gas"(ガス)。23年間現役を続け通算300勝を挙げた。
==経歴==
1937年にワシントン・セネタースとアマチュア契約を結び、1939年にメジャーデビュー。1943年に18勝12敗、防御率2.91の好投を見せ、その後1947年まで防御率3点台の安定した成績を残していたが、1948年に8勝19敗と大きく成績を落とし、クリーブランド・インディアンスにトレードされる。
インディアンスで、ウィンは当時ピッチングコーチをしていたメル・ハーダーから変化球(カーブ、スライダー、チェンジアップ、ナックルボール)の投げ方を指導された。すぐに変化球を習得したウィンは1950年にリーグの最優秀防御率投手となる。インディアンスに在籍した1957年までの間で、シーズン20勝以上を4度達成し、1954年には最多勝投手にもなった。オールスターゲームは1955年に初めて出場したが、この時には既に35歳になっていた。
1957年にトレードでシカゴ・ホワイトソックスに移籍し、1959年に22勝10敗の成績でホワイトソックスのリーグ制覇に貢献、同年のサイ・ヤング賞を受賞した。40歳を過ぎてからは登板機会も減ったが、300勝が目前だったウィンは1963年にインディアンスに復帰、同年300勝を達成して現役を引退した。殿堂入り資格を得て4年目の1972年に、記者投票の得票率76%でアメリカ野球殿堂入り選手に選出される。引退後はトロント・ブルージェイズのラジオ実況解説者を1977年から1980年まで勤めた。1999年フロリダ州で死去。
ウィンは気性が荒く、元々強気の内角攻めを得意とする剛速球投手で、打者達には『最も恐ろしい投手の一人』として知られていた。息子のジョーと遊んでいる時でさえ、2本続けて打たれたらブラッシュ・ボールを投げ込む程だった。打撃練習でウィンが投げていた時、チームメイトのジョー・カニンガムがピッチャー返しを打った。するとウィンは、三球続けてブラッシュ・ボールを投げつけた。ミッキー・マントルにピッチャー返しのヒットを打たれた時などは、次の打席を待たずに報復しようとした。牽制球のふりをしてマントルに豪速球を投げたのである。
また投手でありながらスイッチヒッターであり、そのバッティングにも一目置かれていた。現役通算でウィンは90回代打で登場し、史上4人目となる「投手による代打満塁本塁打」を放ったこともある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アーリー・ウィン」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Early Wynn 」があります。




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