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アールネ・エドヴァルド・ユーティライネン(''Aarne Edward Juutilainen'' 1904年10月18日-1976年10月28日)は、フィンランドの軍人。最終階級は大尉。 == 戦歴 == フィンランド陸軍士官学校に入学、最終学年まで進むが、規則違反により1年間の停学処分となる。停学中、自転車大隊に仮配属されるが、ここでも規則違反により3度の拘禁処分を受け、これが士官学校に知られ退学を通告される。一時は船員になるが、これに飽き足らず、たまたま新聞で読んだフランス外人部隊に惹かれ北アフリカに渡る〔ペトリ・サルヤネン「白い死神」、古市真由美訳、アルファポリス刊。ISBN978-4-434-16533-7、pp78-79〕。 1930年から1935年にかけてフランス外人部隊に参加し、モロッコ植民地戦争においては「モロッコの恐怖」と呼ばれた。その後フィンランド陸軍に復帰するが、再び不品行により除隊勧告を受ける。職を転々とするが、冬戦争では予備役中尉として現場に復帰。第12師団第34連隊第6中隊、通称「カワウ中隊」の中隊長に任命された。この部下の一人に、史上最多の狙撃戦果を持つシモ・ヘイヘがいる。 開戦時、第6中隊を含む第34連隊は、ラドガ湖北方、フィンランド領土がソ連領内に突き出た通称「ヒュルシュラの鉤」近辺に展開しており、国境を越えて侵攻してきたソ連軍を迎え撃った。 兵士数、装備ともにソ連軍はフィンランド軍を圧倒、しかもフィンランド軍は慢性的な弾薬不足に苦しめられたが、冬戦争期間を通じ、フィンランド軍はソ連軍の攻勢を食い止め続けた。この戦いは、付近を流れる小川、コッラー川にちなみ「コッラーの戦い」と名付けられた。その激戦区にあって、少ない兵力でソ連軍を撃退し続けた第6中隊および中隊長のユーティライネンの活躍は、戦時中より新聞等で報じられ、国民的英雄となった。 冬戦争終結後に結婚、継続戦争までの間、コンティオラハティ駐屯地において教官を務め、継続戦争では第7師団第9歩兵連隊に属し戦った。1944年9月からのラップランド戦争では大隊指揮官として戦ったが、横紙破りな言動から昇進は叶わず、戦後は予備役に移された。戦時の英雄ではあったが、平和な市民生活には馴染めず、結婚生活は破綻、酒におぼれ、戦傷の痛みに悩まされる戦後であったという〔ペトリ・サルヤネン「白い死神」、pp221-222〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アールネ・エドヴァルド・ユーティライネン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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