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アール・アヴェリル : ミニ英和和英辞書
アール・アヴェリル[あーる]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

アール : [あーる]
 【名詞】《単位》 an are
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

アール・アヴェリル ( リダイレクト:アール・アベリル ) : ウィキペディア日本語版
アール・アベリル[ちょうおん]

アール・アベリル(Howard Earl Averill, 1902年5月21日 - 1983年8月16日)は、1930年代のアメリカメジャーリーグの選手。主なポジションは中堅手ワシントン州スノホミッシュ生まれ。右投げ左打ち。現役時代の背番号は『3』。ニックネームは"Rock"、もしくは名前にひっかけて、"The Earl of Snohomish"(スノホミッシュ伯爵)とも。実働13年ながら、現インディアンスの打撃部門の球団記録をいくつも保有している。息子 (アール・アベリル) もMLBのプロ野球選手だった。
== 経歴 ==
1929年に、パシフィック・コーストリーグのサンフランシスコから、クリーブランド・インディアンスに入団。デビューは27歳と遅かったが、1年目から初打席初本塁打の衝撃的デビューを飾ってほぼ全ての試合に出場、打率.332、198安打を記録する。デビューから最初の6年間打率3割を維持、1931年には初めて最優秀選手 (MVP) の候補にもなった。
1933年、この年から始まったオールスターゲームに出場。第1回から6年続けて出場した外野手は、アベリルのみである。1937年のオールスターゲームでは、相手投手ディジー・ディーンの球を強烈なライナーではじき返し、ディーンがつま先を骨折するというエピソードもある。
また1934年には、全米選抜チームの一員として、ベーブ・ルースらと共に来日している。同年11月8日、北海道函館市で行われた全日本選抜チームとの対戦では、先発の青柴憲一から満塁ホームランを放っている。
1936年、アベリルは232安打、打率.378と、キャリア最高の打撃成績を残す。安打数はリーグ最多、打率は同年首位打者となったルーク・アップリングに次いで2位だった。インディアンス在籍時に、チームは一度も優勝争いをすることはなかったが、1939年シーズン半ばで移籍したデトロイト・タイガースが、翌1940年にアメリカンリーグを制覇、アベリルは38歳で初めてワールドシリーズに出場する。が、結果は3打数ヒットなしに終わった。1941年にブレーブスと契約したが、わずか8試合に出ただけで同年現役を引退する。
1975年、ベテランズ委員会によりアメリカ野球殿堂入り選手に選出された。1983年ワシントン州にて死去。現役時代の背番号3』は、殿堂入りした1975年にインディアンスの永久欠番になっている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アール・アベリル」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Earl Averill 」があります。




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