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アーロン・マイケル・ヒックス(Aaron Michael Hicks, 1989年10月2日 - )は、アメリカ合衆国・カリフォルニア州ロングビーチ出身のプロ野球選手(外野手)。右投両打。MLB・ニューヨーク・ヤンキースに所属。 == 経歴 == === プロ入りとツインズ時代 === のMLBドラフト1巡目(全体14位)でミネソタ・ツインズから指名され、6月13日に契約。この年は傘下のルーキー級ガルフ・コーストリーグ・ツインズで45試合に出場し、打率.318・4本塁打・27打点・12盗塁だった。 はA級ベロイト・スナッパーズで67試合に出場し、打率.251・4本塁打・29打点・10盗塁だった。 はA級ベロイトで115試合に出場し、打率.279・8本塁打・49打点・21盗塁だった。 はA+級フォートマイヤーズ・ミラクルで122試合に出場し、打率.242・5本塁打・38打点・17盗塁だった。 はAA級ニューブリテン・ロックキャッツで129試合に出場し、打率.286・13本塁打・61打点・32盗塁だった。オフの11月20日にツインズとメジャー契約を結び、40人枠入りした。 は開幕ロースター入りし、4月1日に行われたデトロイト・タイガースとの開幕戦でメジャーデビュー。1番・中堅手で先発起用されたが、4打数無安打1四球3三振に終わった。3試合目の出場となった3日のタイガース戦で、8回裏の第五打席にブライアン・ビヤレアルからメジャー初安打となる2点適時打を放った。開幕から1番に固定されていたが、打率は0割台と結果を残せず、4月16日のロサンゼルス・エンゼルス戦から8番に降格。5月4日のクリーブランド・インディアンス戦では、スコット・カズミアーからメジャー初本塁打を記録。打率が1割台ながらも先発起用され続けていたが、6月9日のワシントン・ナショナルズ戦・ダブルヘッダー第二試合目で左ハムストリングを痛め途中交代し、翌10日に15日間の故障者リスト入りした。7月2日に復帰後も8番・中堅で固定されていたが、打率は1割台から上昇せず、8月1日にAAA級ロチェスター・レッドウイングスへ降格した。その後メジャーに昇格することはなく、シーズンを終えた。この年は81試合に出場し、打率.192・8本塁打・27打点・9盗塁だった。 2月28日にツインズと1年契約に合意し、開幕ロースター入りした。5月1日のロサンゼルス・ドジャース戦・ダブルヘッダー第二試合目で、外野フェンスに衝突し、脳震盪と診断されたため7日間の故障者リスト入りした。5月9日に復帰したが、6月13日に右肩の故障で15日間の故障者リスト入りした。6月25日に故障者リストから外れたが、打率は1割台と結果を残していないこともあり、同日にAA級ニューブリテンへ降格した。最終的には69試合に出場し、前年に.100台だった打率を上げたが、それでも.215と低率のままであった。また、前年に8本あった本塁打は激減し、1本しか放てなかった。守備では中堅を57試合で守ったほか、左翼手及び右翼手の守備にも就いたが、外野3ポジションでのDRSは -3と平均以下の数値だった。 は中堅手のレギュラー格で起用され、97試合に出場。いずれも自己ベストの打率.256・11本塁打・33打点・13盗塁という成績を残し、パワーとスピードを兼ね備えた能力を垣間見せた。守備面では88試合で中堅の守備に就き、1失策・守備率.996・DRS +2という成績を残した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アーロン・ヒックス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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