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イアン・デズモンド(Ian M. Desmond, 1985年9月20日 - )は、アメリカ合衆国・フロリダ州サラソータ出身のプロ野球選手(遊撃手)。右投右打。MLB・テキサス・レンジャーズ所属。 ミルウォーキー・ブルワーズ傘下所属のジョシュ・レニキーとは義理の兄弟の関係である。 == 経歴 == のMLBドラフト3巡目(全体84位)でモントリオール・エクスポズに入団。契約金は43万ドルだった。 9月10日のフィラデルフィア・フィリーズ戦でメジャーデビュー。 はオープン戦でクリスチャン・グーズマンとのポジション争いに勝利し、ナショナルズの正遊撃手となった、シーズンでは154試合に出場して、打率.269、10本塁打、17盗塁だった。しかし、守備では両リーグ最多の34失策を記録してしまった。 は三振が増加し、前半戦は打率.223と低迷。後半戦は打率.289と復調したが、トータルでの打撃成績は前年よりやや下降した。盗塁は前年を上回る25個を記録。失策は23個に減らした。 はオールスターゲームに初選出された。全遊撃手で最多の25本塁打を放つなど、自己最高の成績を残してシルバースラッガー賞を初受賞した。 、自己最高の158試合に出場。打率.280・20本塁打・80打点を記録し、前年に開花したパワーがまぐれではない事を証明した。走塁に関しては、2年連続で21盗塁・6盗塁死という成績だった。 1月17日にナショナルズと2年総額1750万ドルの契約に合意した。打率を大幅に下げ、それまで2年連続で.280以上を記録していたが、.255となった。しかし、24本塁打・91打点 (自己ベスト、リーグ7位) ・24盗塁という成績をマークし、3年連続で「20本塁打・20盗塁」以上を達成してメジャー屈指の遊撃手にのし上がった。本塁打と盗塁は、いずれも自己ベストの25にあと1と迫る数字であった。三振を大きく増やし、リーグ3位の183三振を喫した。守備面では、自己ワースト2位 (当時) の24失策を記録したものの、自身初の+となる守備防御点 (+2) を記録し、一定の成長を示した。 は、不振のシーズンを送った。156試合に出場したが、打率はメジャーデビュー以来ワーストとなる.233に留まったほか、リーグワースト2位の187三振を喫し、2年連続180三振以上・自己ワースト記録となってしまった。ホームランは、通算100本塁打を達成したものの19本に留まり、20本以上が3年連続でストップ。盗塁も13個に留まり、「20本塁打・20盗塁」以上の同時達成が、3シーズン連続で終わった。守備面でも、失策が3年連続で増加して27失策を犯した。他方、DRSは +1だった。球団からのクォリファイング・オファーを拒否し、11月2日にFAとなった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「イアン・デズモンド」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Ian Desmond 」があります。 スポンサード リンク
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