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イェス・モンケは、チャガタイ・ハン国の君主(在位:1246年 - 1251年〔『中央ユーラシアを知る事典』、557頁〕)。チンギス・ハーンの次男チャガタイの子。 == 生涯 == チャガタイは生前孫のカラ・フレグを自らのウルス(所領)の相続人に指名し、1241年にチャガタイが没した後カラ・フレグがチャガタイのウルスを相続した 〔ドーソン『モンゴル帝国史』2巻、229頁〕。1246年にモンゴル帝国の大ハーンに即位したグユクはイェス・モンケを支持し、カラ・フレグに代えて彼をチャガタイ・ウルスの支配者に任命した〔。 在位中のイェス・モンケは飲酒に耽り、政務は妃と宰相のバハーアッディーン・マルギーナーニーに一任していた〔グルセ『アジア遊牧民族史』下、524頁〕。グユクの死後に開催されたクリルタイでチンギス・ハーンの四男トゥルイの子モンケが新たな大ハーンに選出されるが、イェス・モンケは即位式への出席を拒否した〔ドーソン『モンゴル帝国史』2巻、272-274頁〕。1251年に大ハーンに即位したモンケはカラ・フレグをウルスの支配者の地位に戻し、イェス・モンケの処刑を命令するが、カラ・フレグはモンケの命令を果たす前に没した〔ドーソン『モンゴル帝国史』2巻、290頁〕。カラ・フレグの妃オルガナによってイェス・モンケは処刑され、マルギーナーニーはチャガタイ時代の宰相ハバシュ・アーミドによって処刑された〔グルセ『アジア遊牧民族史』下、525頁〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「イェス・モンケ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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