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イギリスにおける死刑 イギリスでは1969年にイングランド等3地域で廃止され、1973年に北アイルランドで廃止、1998年に完全廃止された。 == 歴史 == イギリスにおける死刑廃止思想は古く、トーマス・モアにまで遡ることができる。これは当時のイギリスでは数多くの罪状に対し死刑が適用されており、非常に多くの人びとが処刑されていたことが背景にある。1723年のブラック法では窃盗犯や紙幣偽造犯など50もの罪状に適用されていた。また「被害者が自衛する機会がない」として強盗犯よりも悪質とされていた窃盗犯に対しては処刑される場合も少なくなかった。このような厳罰主義の法制と刑罰体系を後世「血の法典」と呼ばれた、このように厳罰にしたのは、犯罪者を死刑にすれば犯罪は減ると支配階層が考えたこともあるが、有産階級の財産を守る為でもあった。1660年以降、死罪になる罪名は50から1750年には160、1815年には288と増加した。このとき、死罪になる犯罪は、5シリング以上の価値のあるものの窃盗、馬若しくは羊の窃盗、放火反逆殺人の脅迫状が含まれた。 なお一般庶民は絞首刑に処せられており、例外的に貴族は斬首刑が適用されていた。また殺人や強盗といった凶悪犯の処刑が一般的であったが、少年犯罪者(「悪意の明らかな証拠」のある場合は、7歳から絞首刑を適用できるとされていた)に対する死刑宣告は実行されない場合もあったが、現代の基準から見ると死刑をもって償わなければならない程ではないと思われる罪で死刑が執行された少年も少なくなかった。たとえば1800年に小間物商の帳簿を偽造した10歳の子供が詐欺罪で処刑されたほか、1808年には7歳の少女を放火犯として処刑(かつてギネスブックの最年少の死刑囚として収録されていた)された。 死刑判決が教会の儀式のひとつとして赦されたり、また軍務につくと永久に執行猶予される場合もあった。そのため1770年から1830年の間にイングランドとウェールズでは35000人に死刑が宣告されたが、実際には7000人に対し死刑が執行され、相当が免除されていたが、それでも少なくない数字であった。 このように、19世紀まで、あまりにも死刑の適用範囲が広すぎたため、1808年にはスリのような窃盗犯が除外された。1820年代から30年代にかけて多くの死刑適用犯罪が外されるようになり、1823年には裁判官に反逆罪と殺人以外には死刑を適用できないように法を変えた。また、、当時イギリスの植民地であったオーストラリアへ犯罪者を死刑ではなく流刑にするようになった。このように19世紀には徐々に死刑を適用できる犯罪を制限するようになったが、それでも国家反逆罪や殺人に対しての死刑制度は存置された。また1866年にはイギリス国内では公開処刑は廃止され、死刑執行は刑務所内で行われるようになった。 1908年には16歳以下に対する死刑が禁止され、1933年には18歳以下に年齢が引き上げられた。また1931年には妊婦の死刑が禁止された。そして1938年には死刑廃止案は下院を通過したが、第二次世界大戦勃発により死刑廃止は立ち消えとなった。なお1900年から1949年までに、イングランドとウェールズでは621人の男性と11人の女性が処刑されたが、戦時特別立法によって13人のドイツのスパイも処刑された。 イギリスでは戦後も死刑制度が存置されていたが、1957年の法律では殺人犯のうち囚人による看守の殺害や警察官殺害犯、爆弾テロ犯などに死刑の適用が限定されるようになった。これによって死刑制度擁護派に譲歩した形になった。しかしながら、エヴァンス事件やA6殺人事件など、決定的な証拠が無いまま処刑され冤罪が疑われる事件をきっかけとして死刑廃止要求が再燃したため、1965年11月9日に5年間死刑執行停止する時限立法が議会で可決された。なおイギリス国内最後の死刑執行は1964年8月13日に、リバプールのウォールトン刑務所で行われた。 その後ジェームズ・キャラハン内務大臣の下1969年12月に死刑廃止を決定した。なお当初は北アイルランドは適用が除外されていたが、1973年に北アイルランドも死刑が廃止された。またIRAのテロが活発になった1975年以降、死刑復活が叫ばれるようになった。復活論者であったマーガレット・サッチャー率いる保守党政権が総選挙で圧勝し、2度死刑復活法案が提出されるが大差で否決(1度目は362対243、2度目は357対195)された〔藤本哲也 『刑事政策概論』第3版 2001年 青林書院 123頁 〕。 なお、イギリスでは死刑が実際に全面的に廃止されたのは1998年のことである。それまでは海賊行為、国家反逆罪、軍隊内部の犯罪について死刑の適用ができるとされていたが適用された事例は皆無だという。またイギリス王室領であるチャンネル諸島では執行された事例はなかったが、法律上2006年まで死刑制度が存続していた。そのため1984年にジャージー島で死刑を宣告された被告人がいたという。またマン島では1993年にようやく死刑が廃止されたが、最後に処刑が行われたのは1872年の事であり、それまで死刑判決が確定しても、内務大臣によって終身刑に減刑されていたという。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「イギリスにおける死刑」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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