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国防省(こくぼうしょう、)は、イギリスの行政機関であり、国防政策を統括しイギリス軍を指揮する。 国防省の主要政策はイギリスの本土および海外領土を保持することである。冷戦が終結した現在では、従来予想されていた短期通常戦争は予期されていない。大量破壊兵器の拡散・テロの防止などが主要課題として位置づけられている。 == 歴史 == 1920年代から1930年代にかけて、イギリス政府は第一次世界大戦の反省をふまえて、陸海に加え新設された空軍を合わせた3軍を統括する司令部が必要であるとの認識を有していた。1921年に当時のデビッド・ロイド・ジョージ連立内閣によって提案は破棄されたが、1923年には参謀本部委員会 (Chiefs of Staff Committee) が設立されている。 1930年代には、アドルフ・ヒトラー率いるナチスが台頭するドイツの政治情勢を受けて軍備の増強と各軍の連携の緊密化が進められるようになり、スタンリー・ボールドウィンによって国防調整大臣 (Minister for Coordination of Defence) が新たに設けられた。初代チャットフィールド男爵アーンリ・チャットフィールドが任命され、1940年のチェンバレン内閣の総辞職までその職を務めたが、チャットフィールドの政治的影響力は大きいものではなかったため、軍の統合も思うようには進まなかった。 チェンバレンの後を継いだウィンストン・チャーチルは、国防省 (Minister of Defence) を設立し、参謀本部委員会の指揮および軍政を担当させた。大臣職は第二次世界大戦中を通してチャーチル自身が兼務し、1946年のクレメント・アトリー内閣において導入された国防省法によって、正式に国防大臣は閣議の構成員として認められることになった。既存の3つの職であった陸軍大臣 (Secretary of State for War) 、海軍大臣 (First Lord of the Admiralty) および空軍大臣 (Secretary of State for Air) は、それぞれ陸海空軍の直接指揮をとる役所として残されたが、閣議への参加は行わないことになった。 その後、1940年代から1950年代にかけて国防省の権限が次第に増加し、最終的には1964年に陸軍省(戦争省)・海軍省・空軍省(航空省)の3省庁が廃止され、事実上は国防省に吸収・統合される形で現在に至っている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「国防省 (イギリス)」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Ministry of Defence (United Kingdom) 」があります。 スポンサード リンク
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