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イギリス陸軍航空隊(イギリスりくぐんこうくうたい、Royal Flying Corp、RFC)は第一次世界大戦の時期のイギリス軍の陸上航空部隊である。1918年4月にイギリス海軍航空隊と統合され、イギリス空軍の母体となった。創設の経緯からも分かるように本来は陸海軍の統合組織であり、直訳では''イギリス軍航空隊''であるが、創設後間もなく海軍部隊が離脱している。以下、''RFC''と記述する。 大戦初期におけるRFCの任務は、専ら砲兵との協同や写真偵察などの陸軍の支援であった。しかし徐々にRFCパイロットはドイツのパイロットと空中戦を行うようになり、大戦後半には敵の歩兵や砲兵陣地の掃射、ドイツの飛行場爆撃や、さらにはドイツの工業施設、輸送施設への戦略爆撃も行うようになった。 == 概要 == 第一次世界大戦勃発時、RFCは5個飛行隊(観測気球隊1個(第1)、飛行機隊4個(第2及び第3飛行隊は世界で最初の固定翼飛行機の部隊である。))で構成され、デヴィッド・ヘンダーソンが指揮していた。これらは1914年9月13日に初めて航空観測に使用されたが、効果を挙げたのはオーバーズ・リッジで無線通信に成功した1915年5月9日になってのことである。空中写真は1914年中に試みられたが、やはり効果を挙げたのは翌年になってからだった。1918年には写真画像は15,000フィートの高さから撮影できるようになり、3,000人以上の人員によって解析された。RFCの空気より重い航空機のパイロットはパラシュートは使用しなかった。のみならず第一次世界大戦中は、(カルスロップ・ガーディアンエンジェル・パラシュート(1916年モデル)が戦争終結までに採用されたにもかかわらず)空軍でも使用されなかった。ただし、気球搭乗員は終戦の3年前から着用していた〔Beckett, p. 254.〕〔Lee (1968) pp.219-225〕。 1917年8月17日、ヤン・スマッツ将軍は空軍力の将来性に関するレポートを戦争委員会に提出した。彼は、その『敵地の荒廃化と、その産業や生活拠点の大規模な破壊』をもたらす潜在力から、陸軍や海軍と同じレベルの新しい航空軍を作るよう進言した。新しい軍の創設は、運用効率の下がっていたイギリス海軍航空隊(Royal Naval Air Service / RNAS)の人員や飛行機を西部戦線全域で活用化し、また当時航空機の取得にしばしば悪影響を与えていた陸海軍の間の対立に終止符を打つものだった。1918年4月1日にRFCとRNASが合併して新しくイギリス空軍(RAF)が創設され、新設の航空省の管轄下におかれた。1914年初めに兵員約2,073人であった組織は、1919年初めには4,000機の軍用機と114,000人の兵員を持つ空軍となっていた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「イギリス陸軍航空隊」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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