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イギー・アンド・ザ・ストゥージズ : ミニ英和和英辞書
イギー・アンド・ザ・ストゥージズ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

イギー・アンド・ザ・ストゥージズ ( リダイレクト:ザ・ストゥージズ ) : ウィキペディア日本語版
ザ・ストゥージズ[ちょうおん]

ストゥージズ(The Stooges)は、イギー・ポップを中心とするアメリカのロック・バンドである。1967年から1974年まで活動し3枚のアルバムをリリース。2003年に再結成
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第78位に選出。
== 来歴 ==
;デビューからセカンド・アルバムまで
1967年、ボーカルのイギー・ポップ(Iggy Pop)、ギタリストのロン・アシュトン(Ron Asheton)およびドラマーのスコット・アシュトン(Scott Asheton、ロン・アシュトンの弟)のアシュトン兄弟、そしてベーシストのデイヴ・アレクサンダー(Dave Alexander)によって結成される。初期はサイケデリック・ストゥージズとして活動していたが〔ザ・ストゥージズのギタリスト、亡くなる barks 2009年1月7日〕、後にザ・ストゥージズに名乗りを変える。"stooge"とは、「ぼけ役」、「まぬけ」といった意味。
1969年、元ヴェルヴェット・アンダーグラウンドジョン・ケイルのプロデュースにより、デビュー・アルバム『イギー・ポップ・アンド・ストゥージズ』(The Stooges)を発表。全米最高106位と商業的には成功しなかったが、同じエレクトラ・レコードに所属するMC5と並んでガレージ・ロックオリジナル・パンク)の代表的存在と目される。
フロントマンのイギーは、客の注目を惹くためステージダイブをしたり〔イギー・ポップ、トレードマークのステージ・ダイブを語る barks 2013年7月4日〕、ピーナッツバターを体中に塗ったり、ステージに散りばめたガラスの破片の上を転がるなど〔イギー・ポップ、“MTVの『Jackass』に影響を与えたのは俺だ” barks 2001年7月22日〕、身体を張ったパフォーマンスを展開した。
1970年には、セカンド・アルバム『ファン・ハウス』(Fun House)を発表。同作では新たにサックスを加え、スティーヴ・マッケイ(Steve MacKay)が参加している。ところが、売上は前作より伸び悩み、チャートインすら果たせず、エレクトラとの契約も打ち切られる。さらに、アルコール中毒になっていたデイヴが解雇され、ベーシストはジーク・ゼトナー(Zeke Zettner)、ジミー・レッカ(Jimmy Recca)と目まぐるしく入れ替わった。また、イギーを筆頭にロンを除くメンバーはヘロインに溺れ、活動休止状態に陥ってしまう。
;ボウイとの出会い、ロー・パワー、終焉
1971年、イギーはデヴィッド・ボウイに出会い、ボウイの協力の下でアルバムの制作を開始する。当初はギタリストのジェームズ・ウィリアムソン(James Williamson)に新たなリズム隊を加えた編成となる予定だったが、結局アシュトン兄弟を呼び寄せることとなった。ギターはジェームズが弾くことになったため、ロンはベースに転向した〔イギー・ポップ、亡くなったスコット・アシュトンとの思い出を語る ro69.jp 2014年3月21日〕。
1973年、『ロー・パワー』(Raw Power、邦題は『淫力魔人』)を「イギー・アンド・ザ・ストゥージズ」の名義でコロムビア・レコードから発表。ボウイがミキシングを担当した。しかし、全米182位に留まり、ツアーの途中でコロンビアはレコード契約を解除。ボウイの所属するメインマン・マネージメントからも見放された。
1974年2月、イギーのヘロイン中毒、活動の行き詰まりなどが原因でストゥージーズは解散した。
;解散中の出来事
解散中の1975年にイギーはジェームズとともにレコーディングを行い、これは1977年にイギー・ポップとウィリアムソンの共同名義で『キルシティ』というタイトルでリリースされた〔ザ・ストゥージズに黄金期のギタリストが復帰 ro69.jp 2009年9月7日〕。また、ロン・アシュトンは、3代目ベーシストのジミー・レッカ、元MC5のドラマーであるデニス・トンプソンらとザ・ニュー・オーダーを結成し、アルバムを発表した〔ストゥージズのロン・アシュトンがMC5のデニス・トンプソンらと組んでいたザ・ニュー・オーダー、1stがボートラ付き再発 amass.jp 2014年7月27日〕。
1977年、イギーは再びボウイと組んでソロ・デビュー。バンドでは得られなかった商業的成功を手にする。
1997年、イギーがミックスをやり直した『ロー・パワー』が新たにリリースされた。これはボウイによるミックスに対する不満の声に応えたもので、イギー自身が「どの曲も音が全部振り切れるくらいボリュームをあげて、すごい激しいミックスになった」と語る仕上がりになっている〔淫力魔人(ロー・パワー) Sony Music〕。
;再結成
2003年、イギーとロン、スコットの3人に、元ミニットメンのマイク・ワットをベーシストとして加え、実に29年ぶりに再結成。後に、スティーヴも参加した。2007年には、ニュー・アルバム『ザ・ウィヤードネス』(The Weirdness)を発表。
2009年1月6日、ロンが自宅で死亡しているのが発見された。数日前に心臓発作で斃れたものと推定された〔ザ・ストゥージズのギタリスト ロン・アシュトンが死亡 イギー・ポップが追悼コメント ro69.jp 2009年1月8日〕。
2010年ロックの殿堂入りを果たす。授賞式でのプレゼンターはグリーン・デイビリー・ジョー・アームストロングが務めた。
2013年4月、6年ぶりの新作『レディ・トゥ・ダイ』を発表。亡くなったロンに代わりジェームズがギターを担当した〔イギー・アンド・ザ・ストゥージズ、6年ぶりの新作『Ready to Die』を4月30日にリリース ro69.jp 2013年2月26日〕。
2014年3月16日、スコットの訃報がイギーによってFacebookで伝えられた。
2015年10月11日、スティーヴの訃報がイギーによってFacebookで伝えられた。享年66歳〔Message from Iggy on Steve Mackay's passing: 〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ザ・ストゥージズ」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 The Stooges 」があります。




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