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イコマエイカンとは、日本の競走馬、繁殖牝馬である。競走馬としては凡庸ながら、1979年の優駿牝馬(オークス)などを制したアグネスレディーを代表に、母として3頭の重賞勝利馬を輩出した。子孫にも数々の活躍馬がおり、本馬を起点とする牝系は「イコマエイカン系」と呼ばれる。 == 経歴 == 1967年、北海道三石町の明治牧場が本馬を受胎した状態の母・ヘザーランズをイギリスから輸入。同年3月に持込馬として誕生した。1969年よりイコマエイカンの名で競走生活を送ったが、競走能力は凡庸で、初勝利までに8戦を要した。さらに次走の競走後に左前脚を骨折し、引退を余儀なくされた。 同年8月より、三石町の折手牧場に繁殖牝馬として繋養される。馬主の伊藤忠雄が種牡馬リマンドのシンジケートに加入していたことから、同馬と集中的に交配された。初年度産駒からグレイトファイターが小倉大賞典を制して重賞勝利馬となると、第2仔クインリマンドも3勝・桜花賞2着の良績を残す。さらに第4仔タマモリマンドは京阪杯に勝利、第5仔アグネスレディーは優駿牝馬を制して八大競走の優勝馬となった。ほか出走経験のあるイコマエイカンとリマンドの仔は全馬が勝利を挙げ、両馬の配合は顕著なニックス(特に高い親和性を示す配合)として知られた。 1983年3月、心臓麻痺で死亡。その後、アグネスレディーが桜花賞優勝馬アグネスフローラを産んだ。さらにアグネスフローラは東京優駿(日本ダービー)に勝ったアグネスフライトと皐月賞を制したアグネスタキオンの兄弟を産み、日本競馬史上唯一の記録となる牝系3代に渡るクラシック制覇を達成した。また、アグネスタキオンは2008年に内国産馬として史上3頭目の全日本リーディングサイアーを獲得している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「イコマエイカン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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