|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana) ・ ロッテ : [ろって] 【名詞】 1. lotte 2. (n) lotte
イゴール・プロッティ (Igor Protti, 1967年9月24日-)は、イタリアの元サッカー選手。 ポジションはフォワード。 プレースタイルは、得点嗅覚が非常に鋭く、身長は低いが打点の高いヘッドを武器としていた。 == 経歴 == 1983-84シーズンセリエC1リミニでデビュー。その後セリエC1ASリヴォルノ・カルチョへ移籍。着実に成長しC1ヴィレシットを経て1989年セリエBメッシーナ入り。初シーズンから35試合12得点とそこそこの結果を残し、1992年セリエBのASバーリに引き抜かれた。そして1994年にバーリでセリエAデビューを果たす。1年目は28試合7得点とやや物足りない出来だったが、1995-96シーズンにはセリエA得点王を獲得。しかしそれとは対照的にチームは低迷し、セリエB降格へした。 1995-96シーズン終了後、SSラツィオに移籍。ファンはシニョーリとプロッティの最強得点王コンビに期待を寄せるものの、27試合7得点という結果に終わった。そしてシーズン後、ラツィオからSSCナポリへレンタル移籍。当時のナポリは弱いわけではなかったが、開幕から全く勝てずセリエB降格。1998年一旦はラツィオに復帰したがすぐにセリエBレッジャーナへ移籍。しかし自信も失ったのか結果は残せなかった。 1999年、キャリアの最後を故郷で過ごすことに決めたプロッティは当時C1だったリヴォルノに加入する。もはやサッカー選手としての人生は終わったと見られていた。 しかし1年目から11得点、2年目は17得点、そして3年目31試合で27得点を挙げセリエB昇格を果たした。ちなみにこの年はセリエC1の得点王となった。 2002-03シーズン、セリエBでの戦い。1年目からリヴォルノは好調で奇跡とも言える昇格争いに参戦。プロッティも得点を量産し続けた。 そしてシーズン終了。クラブは昇格できなかったが、プロッティは23得点で得点王に輝いた。そして本人はこの偉業達成と共に現役引退を決意した。 しかし、ファンの熱い慰留によりプロッティは復帰を決意。そして2003-04シーズン再びチームはA昇格を争った。 リヴォルノはプロッティとクリスティアーノ・ルカレッリのコンビで総得点中、53得点を挙げるなど爆発的な得点力を誇り、最終的にセリエA昇格を果たした。 プロッティは降格クラブから得点王となった唯一の選手。またセリエA、B、Cでの全てのカテゴリーでの得点王を獲得した、こちらもただ1人の選手である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「イゴール・プロッティ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|