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イサベル・アルフォンサ・デ・ボルボン=ドス・シシリアス・イ・ボルボン(Isabel Alfonsa de Borbón-Dos Sicilias y Borbón, 1904年10月6日 マドリード - 1985年7月18日 マドリード)は、スペインの王族、スペイン王女(Infanta de España)。結婚によりザモイスカ伯爵夫人を名乗った。スペイン王フアン・カルロス1世の母方の伯母にあたる。全名はイサベル・アルフォンサ・マリア・テレサ・アントニア・クリスティーナ・メルセデス・カロリーナ・アデライーダ・ラファエラ(Isabel Alfonsa María Teresa Antonia Cristina Mercedes Carolina Adelaida Rafaela de Borbón-Dos Sicilias y Borbón)。 両シチリア王家出身のカラブリア公カルロ・タンクレーディと、その最初の妻でスペイン王アルフォンソ12世の娘であるマリア・デ・ラス・メルセデスとの間の第3子、長女として生まれた。母はイサベルを出産した際に死去し、父は1907年にルイーズ・ドルレアンと再婚した。叔父のスペイン王アルフォンソ13世の特旨により、スペイン王家の外孫でありながら、スペイン王女の称号を授けられている。 1929年3月9日にマドリードにおいて、父方の祖母マリーア・アントニエッタの甥にあたるポーランド人貴族のヤン・カンティ・ザモイスキ伯爵(Jan Kanty Zamoyski, 1900年 - 1961年)と結婚し、間にカロル・アルフォンス(1930年 - 1979年)、マリア・クリスティーナ(1932年 - 1959年)、ユゼフ・ミハウ(1935年 - 2010年)、マリア・テレサ(1938年 - )の4人の子供をもうけた。結婚後はチェコスロヴァキアで暮らしていたが、1945年の赤軍の進駐に伴ってに母国へ亡命し、セビーリャ地方のバレンシーナ・デ・ラ・コンセプションに移住した。 1961年に未亡人となった後は修道院に隠棲し、1985年に死去すると、エル・エスコリアル修道院の王家の墓所に葬られた。 == 参考文献 == *NECROLÓGICAS Isabel Alfonsa de Borbón Dos Sicilias y Borbón, infanta de España * http://genealogy.euweb.cz/poland/zamoyski7.html#JK」 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「イサベル・アルフォンサ・デ・ボルボン=ドス・シシリアス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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