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イザイア・ボウマン(Isaiah Bowman、1878年12月26日 - 1950年1月6日)は、カナダオンタリオ州ウォータールー生まれのアメリカ合衆国の地理学者・地理教育家。地形輪廻(侵食輪廻)で知られるウィリアム・モーリス・ディヴィスの弟子であり〔竹内・杉浦 編(2001):311 - 312ページ〕、初期には自然地理学・地形学の研究をしていたが、後に政治地理学に転じた〔灰谷(1958):23ページ〕。ボウマンの特筆すべき業績は、 * 『森林の自然地理学』(''Forest Physiography''、1911年) * 『井戸掘りの方法』(''Well-Drilling Methods''、1911年) * 『南アメリカ』(''South America''、1915年) * 『南部ペルーのアンデス』(''The Andes of Southern Peru''、1916年) * 『政治地理学の新しい世界的課題』(''The New World-Problems in Political Geography''、1921年) が挙げられる。 カール・O・サウアーを高く評価し、息子のロバート・ボウマンをサウアーの下で学ばせ、連邦政府の土壌侵食関係の委員に指名する、1940年代にジョンズ・ホプキンス大学へ招こうとするなどした〔竹内・杉浦 編(2001):316ページ〕。一方でサウアーはボウマンを評価していなかったものの、教え子のチャールズ・ソーンスウェイトが設立した気候研究所(Laboratory of Climatology)をジョンズ・ホプキンス大学の附属施設にしようと働きかけた〔竹内・杉浦 編(2001):71,316ページ〕。 == 経歴 == ハーバード大学とイェール大学に学び、イェール大学で1905年から1915年まで教員を務め、1915年から1935年の20年にわたってアメリカ地理学協会()の執行責任者 (director) の職にあった。アメリカ地理学協会時代に地図の製作と収集能力を買われ、パリ講和会議にアメリカ代表団の一員として出席した〔竹内・杉浦 編(2001):316ページ〕。同会議ではウッドロウ・ウィルソンアメリカ合衆国大統領の領土顧問主任として、国境線の画定に地図が有用であることを示し、以降アメリカ合衆国連邦政府に登用されるようになった〔。 第二次世界大戦中はアメリカ合衆国国務省の領土顧問を務めた。1916年にボウマンは『''Geographical Review''』(ジオグラフィカル・レビュー、地理学評論)の共同編集者となった。また1918年から1919年にかけて『ジャーナル・オブ・ジオグラフィー』(''Journal of Geography''、地理学雑誌)の共同編集者、1919年から1920年まで同誌の編集者となる。1921年には新設された外交問題評議会の理事に就任する。1935年から1948年にはメリーランド州ボルチモアのジョンズ・ホプキンス大学総長の座にあった。第二次世界大戦前と戦中は外交問題評議会の「戦争と平和研究会」(War and Peace Studies)の領土グループの座長を務めた。1945年から1949年までは外交問題評議会の副会長にもなっている。1938年、''Geography in Relation in the Social Sciences''(社会科学との関係における地理学)において地理学は幾多の点で決まっておらず、時代から時代へ移り変わっていると述べた〔灰谷(1958):16ページ〕。第二次世界大戦後は、国際連合の会議で活躍した〔。 大学総長就任後、苦労して同学に地理学科を創設した〔竹内・杉浦 編(2001):330ページ〕。しかし、ボウマンの死後1970年代に環境工学分野と合併され、地理学・環境工学科に改変された〔。また母校のハーバード大学地質・地理学科の地理学部門は、1948年2月に財政難を理由に廃止されている〔竹内・杉浦 編(2001):319ページ〕。杉浦(2001)によれば、ボウマンがハーバード大学総長のジェームス・コナント(:ja:ジェイムス・コナント とリンク -->" TITLE="James Bryant Conant">James Bryant Conant)に廃止見直しを働きかければ撤回されていた可能性があったが、ボウマンと同じ政治地理学を研究し、ボウマンが嫌っていたダウエント・ホイットルセーがハーバード大学で人文地理学を教授していたこともあってか、働きかけを行わなかった〔竹内・杉浦 編(2001):319 - 320ページ〕。ボウマンはイギリス行きの船の中で、乗り合わせたジャン・ゴットマンに、ハーバードの地理学部門に対する複雑な胸中を語っている〔竹内・杉浦 編(2001):320ページ〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「イザイア・ボウマン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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