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イザベラ・オブ・アングレーム : ミニ英和和英辞書
イザベラ・オブ・アングレーム[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

イザベラ・オブ・アングレーム : ウィキペディア日本語版
イザベラ・オブ・アングレーム[ちょうおん]

イザベラ・オブ・アングレーム(Isabella of Angoulême, 1188年 - 1246年5月31日)は、プランタジネット朝イングランドジョンの2度目の妃。父はアングレーム伯爵エマールで唯一の子であったため、父の死後、アングレーム女伯となった。フランス名はイザベル・ダングレーム(Isabelle d'Angoulême)。
1200年、ラ・マルシュ伯爵の息子ユーグ9世・ド・リュジニャンと婚約の身であったが、ジョンと結婚した。ジョンはアングレームを身内に抱き込むことで、フランスと甥のブルターニュアルテュール1世(アーサー・オブ・ブリタニー)支持のアンジューメーヌトゥルネー、それらと対峙する母アリエノールの所領アキテーヌとの間に楔を打つのが目的であったが、この強引な結婚が元となってポワチエで蜂起が起こった。
1220年のジョンの死没後、イザベラはかつての婚約者ユーグ9世の息子ユーグ10世と再婚した。1241年末に息子ヘンリー3世とユーグ10世を扇動してフランス王ルイ9世に反乱を起こしたが、鎮圧された。1246年に死去。遺体はフォントヴロー修道院に埋葬された。
== 子女 ==
最初の夫ジョンとの間に2男3女を儲けた。
# ヘンリー3世(1207年 - 1272年)
# リチャード(1209年 - 1272年) - コーンウォール伯、神聖ローマ皇帝候補(統治はできなかった)。
# ジョーン(1210年 - 1238年) - スコットランドアレグザンダー2世の王妃
# イザベラ(1214年 - 1241年) - 神聖ローマ皇帝兼シチリアフリードリヒ2世の3度目の王妃
# エリナー(1215年 - 1275年) - ペンブルック伯ウィリアム・マーシャルと結婚、後にシモン・ド・モンフォールと再婚。
2度目の夫ユーグ10世との間に5男4女を儲けた。子女はイングランドの貴族となった。
#ユーグ11世(1221年 - 1250年) - アングレーム伯、ラ・マルシュ伯
#アイマー(1222年 - 1260年) - ウィンチェスター大司教
#アガーテ(1223年 - 1269年) - シャトーの領主ギヨーム・デ・ショヴィニと結婚
#アリス(1224年 - 1256年) - サリージョン・ド・ワーレンと結婚
#ギー(? - 1264年)
#ジョフロワ(? - 1274年)
#ウィリアム(? - 1296年) - ペンブルック伯
#マルグリット(1226年/1228年 - 1288年) - トゥールーズ伯レーモン7世と結婚
#イザベラ(1234年 - 1299年) - モーリス・ド・クランと結婚、ジョフロワ・ド・ランゴンと再婚



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「イザベラ・オブ・アングレーム」の詳細全文を読む




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