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イザベラ・オブ・イングランド : ミニ英和和英辞書
イザベラ・オブ・イングランド[らん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ラン : [らん]
 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)

イザベラ・オブ・イングランド : ウィキペディア日本語版
イザベラ・オブ・イングランド[らん]

イザベラ・オブ・イングランド(Isabella of England, 1214年 - 1241年12月1日)は、神聖ローマ皇帝シチリアフリードリヒ2世の3度目の皇后。エリザベス(Elizabeth)とも呼ばれた。ドイツ語名イザベラ・フォン・エングラント(Isabella von England)、イタリア語名イザベッラ・ディンギルテッラ(Isabella d'Inghilterra)。父はイングランドジョン、母はイザベラ・オブ・アングレーム。兄にヘンリー3世コーンウォール伯リチャード、姉にスコットランド王妃ジョーンがいる。また、フリードリヒ2世の従兄にあたるシチリア王グリエルモ2世の妃ジョーンは伯母に当たる。
リエーティローマ教皇グレゴリウス9世と歓談していたフリードリヒ2世は、イングランド王女イザベラを後添えにどうかと示唆された。最初、この結婚ではフランスとの同盟関係が失われると考えたが、イングランドの協力を得る方が得策と考え直し、承諾した。
母譲りの美貌といわれた21歳のイザベラは、2度妻に先立たれた40歳の皇帝のもとへ旅だった。花嫁の一行はケルンを通過し、イザベラは伝統的な厚いヴェールをあげて顔を見せたため、現地の女性たちに喜ばれた。2人は1235年に結婚した。
しかし結婚するとすぐに、イザベラは黒人の宦官に管理された、外と隔離されたハーレムでの暮らしが始まった(イスラム教徒にならい、フリードリヒ2世は自身のハーレムと多くのアラブ人の愛妾を囲っていた)。2人の結婚は政略であり、イザベラに随行してきた2人のイングランド人女官をのぞいて他は全員帰国させられた。13世紀の王侯貴族の女性たちがそうであったように、イザベラの重要な任務は、夫の後継者となる男子を含む多くの子供を生むことだった。イザベラは4人(5人の説もある)の子供を生んだが、マルガレーテ(1237年 - 1270年)のみが成人した。
イザベラはノヴェンタにある住居に住み、フリードリヒ2世はそこへ定期的に通った。彼女の兄コーンウォール伯リチャード十字軍から帰還してフリードリヒ2世の宮廷へやってきたとき、普段は公的な場所へ出ることの許されないイザベラに会うことが許された。フォッジャの宮廷で、イザベラは出産後に死亡した。わずか27歳だった彼女は、アンドリア大聖堂の中の墓所へ、フリードリヒ2世のサラセン人の愛妾たちの墓の隣に埋葬された。娘のマルガレーテはマイセン辺境伯アルブレヒト2世と結婚した。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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