|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ アート : [あーと] 【名詞】 art ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana) ・ 美 : [び] 1. (n,n-suf) beauty ・ 美術 : [びじゅつ] 【名詞】 1. art 2. fine arts ・ 美術館 : [びじゅつかん] 【名詞】 1. art gallery 2. art museum ・ 術 : [すべ] 【名詞】 1. way 2. method 3. means ・ 館 : [やかた, かん, たて, たち] 【名詞】 1. (1) mansion 2. small castle 3. (2) boat cabin
イザベラ・スチュワート・ガードナー美術館()は、アメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストンにある美術館。ヨーロッパ、アジア、アメリカの絵画、彫刻、タペストリー、装飾品など、世界的に価値のあるさまざまな美術品を収蔵している。建物、設備、コレクションのすべてが、一個人が所有し、創設したものである。現在のイザベラ・スチュワート・ガードナー美術館では、歴史的美術品、現代美術品の展示はもちろん、コンサート、講義、家族・地域向け学習講座など多種多様な活動を主催している。 創設者のイザベラ・スチュワート・ガードナー (:en:Isabella Stewart Gardner) にちなんで、名前がイザベラという女性は美術館への入場が無料で、不定期に開催される特別なイベントに招待されることがある。2009年1月1日には、誕生日に美術館を訪れる観客は入場を無料とすると発表した〔〕 。 == 歴史 == フィランソロピストで美術品コレクター、芸術家のパトロンとして著名なアメリカ人女性イザベラ・スチュワート・ガードナー(1840年4月14日 - 1924年7月17日)が1903年に美術館を開設した。ギャラリーは15世紀ヴェネツィアの大邸宅を模してデザインされており、ヴェネツィアにあるバルバロ邸 (:en:Palazzo Barbaro) からの影響を強く受けている。 イザベラが美術品を熱心に収集し始めたのは、1891年に父が死去して巨額の遺産を相続してからである。1892年にパリのオークションでヨハネス・フェルメールの『合奏』を購入したのが、最初の重要な美術品の入手となった。1894年にはボッティチェリの絵画入手を希望していたイザベラに、アメリカ人美術史家バーナード・ベレンソンから購入協力の申し出があった。これ以降ベレンソンはイザベラの70点近い美術品の購入に手を貸している。 イザベラの夫ジョン・L・ガードナーが1898年に死去し、イザベラが生前の夫と語りあっていた、自分たちの美術品コレクションのために美術館を建設するという夢を実行に移した。ボストンの湿地帯フェンウェイに土地を買い、イザベラがギャラリーの雰囲気に相応しいと考えていた、15世紀ヴェネツィアのルネサンス風邸宅をモデルとした美術館の設計を建築家ウィラード・T・シアーズ (:en:Willard T. Sears) に依頼した〔〕。三階建ての美術館は中庭を囲むようにデザインされ、中庭には四季折々の草花が植えられている。イザベラは設計のあらゆる要素に口を出し、優れた建築家だったシアーズが、まるでイザベラのデザインを実行に移す単なる建築技師に過ぎないと思っているのではないかと冗談を言われるほどだった。 よく誤解されていることだが、美術館の建物はヴェネツィアの旧邸をボストンへとそのまま移築したものではない〔Isabella Stewart Gardner Museum - Review 〕。新しい建材を使用して建造されており、細部の装飾などにヨーロッパから持ち込まれた大量のゴシック期、ルネサンス期の古美術品が使用されているだけで、床面には特別にデザインされたタイルが用いられている。現代のコンクリートは建築要素として一部使用されており、アンティークの柱頭が現代のコンクリートで作られた柱の頂点を飾っている。中庭はガラスの屋根で覆われ、鉄で出来た梁で支えられている。 ギャラリーの完成後イザベラは1年をかけて美術コレクションを慎重にレイアウトし、著名な西洋絵画や西洋彫刻と、まったく異なる文化や時代の絵画、調度品、織物などが自然に調和する空間を作り出すことに心を砕いた。その結果、イザベラ・スチュワート・ガードナー美術館のくつろいだ雰囲気は、絵画や中庭の花々を観賞するのに相応しいとして高く評価されている。大多数の美術品は分類されてはおらず、ぼんやりとした照明は現代美術館というよりも、個人の邸宅にいるかのような印象を与えている。 美術館が開館したのは1903年1月1日のことで、ボストン交響楽団のメンバーが演奏する盛大な式典が開かれ、招待客にシャンパンとドーナツが振舞われている。イザベラが存命中には、このギャラリーは「フェンウェイ・コート (Fenway Court)」と呼ばれていた。イザベラは芸術家、演奏家、学者などをフェンウェイ・コートに招き、豊富な美術コレクションと魅力的なヴェネツィア風の雰囲気から、何らかの刺激を彼らに与えようとした。イザベラに招待された人物にはアメリカ人画家のジョン・シンガー・サージェント、ドイツ人作曲家のチャールズ・マーティン・レフラー、アメリカ人ダンサーのルース・サン・ドニ (:en:Ruth St. Denis)らがいる。現在の美術館が力を入れているアーティスト・イン・レジデンス活動として、美術館中央庭園の作庭、コンサートや、イザベラの遺志を継いで継続されている革新的な教育計画などがあげられる。 イザベラは1924年に死去し、遺言によって美術館への100万ドルの寄贈と、今後の美術館運営に関する大まかな規定が残された。その規定とは、イザベラが自身の美術に対する思想と美術館を設立した目的から、ギャラリーの美術品コレクションを「大衆がつねに体験でき、楽しめるように」永続的に展示し続けるとするもので、もしこの規定が守られないのであればコレクションをすべて売却し、遺産ともどもハーヴァード大学へ寄付することとなっていた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「イザベラ・スチュワート・ガードナー美術館」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Isabella Stewart Gardner Museum 」があります。 スポンサード リンク
|