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イザベル・デコス : ウィキペディア日本語版
イザベル・デコス

イザベル・デコス (Isabelle d'Écosse、1425年から1427年の間に出生 - 1494年)は、ブルターニュフランソワ1世の妃。イザボー・デコス(Isabeau d'Écosse)とも呼ばれた。スコットランドジェームズ1世と王妃ジョーン・ボーフォートの娘。英語名ではイザベラ・ステュアート(Isabella Stewart)またはイザベラ・オブ・スコットランド(Isabella of Scotland)。
イザベルは姉のマーガレットよりも美しいという評判が高く、ブルターニュ公ジャン5世は息子フランソワの妻にイザベルを望んだ。公はスコットランドに大使を派遣した。ブルターニュ宮廷に戻った大使は、イザベルは美しく賢明で優雅であり、単純そうに思えると報告した。はこう答えた。
:『友よ、スコットランドに戻り、彼女を連れてくるのだ。彼女は私の望む全てであり、私はその他の望みを持っていない。あなたの言う賢い女性は、効果よりも害を及ぼすのだ。』
1442年10月30日、オーレー城にてイザベルはフランソワと結婚した。その後すぐ宮廷全体がレンヌへ移動し、8日間の祝宴が続いた。姉マーガレットが若くして死ぬと、イザベルは現在も残るミニアチュール時祷書(livre d'Isabeau d'Escosse)を作らせた。姉と同様にイザベルも詩人としての名声が高かった。1450年にフランソワ1世が死ぬと、彼女は公国宰相ジャン・ド・ラ・リヴィエールが建てさせたヴァンヌの邸宅に隠棲した。今日この邸宅は「3人の公妃の家」として知られている。1494年にイザベルは死に、ヴァンヌのサン・ピエール大聖堂に埋葬された。
==子女==

*マルグリット(1443年-1469年) - ブルターニュ公フランソワ2世の最初の妃
*マリー(1444年-1506年) - ロアン子爵およびポルオエ伯爵ジャン2世の妻



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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