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イシャンゴの骨(イシャンゴのほね、)は、1960年にアフリカ・コンゴで発見された後期旧石器時代の骨角器。骨の年代はおよそ2万年前で、大きさの異なる刻み目が3列に亘って骨につけられている。この刻み目の数が、ある列は素数だけであったり、別の列では掛け算などを示唆するような内容であったため、発見以来数学的に意義のある考古学的証拠とされてきたが、一方でこの数に数学的な意味はないとする指摘もある〔ラドマン (2008),p.68〕。 イシャンゴの骨は2011年現在ブリュッセルにあるベルギー王立自然史博物館で常設展示されている。 == 概要 == イシャンゴの骨は暗褐色のヒヒの腓骨でできており、長さは10cm程で方端には尖った水晶の欠片が取り付けられている。全長に亘って大小様々の刻み目が3列にほぼ並行してついているが、この刻み目が意図的につけられたことは明らかである〔ラドマン (2008),p.68〕。骨は当初、何かの数を記録した札(Tally stick)のようなものと考えられていたが、後に単に数を数えた以上の、何らかの数学的な知識を示した遺物とする説も示された〔P&H (1999),pp.340-345〕。一方で、この刻み目は数学とは全く関係ないものであり、骨は先端につけられた水晶で何かを削る道具であって、骨をしっかり握る為の滑り止めとして握り手に刻み目をいれたものとの指摘もある〔ラドマン (2008),pp.68-69〕。 1960年、ベルギーの地質学者J・デ・ハインツェリン〔ジャン・ド・アンズラン・ド・ブロクールとも表記される。〕(Jean de Heinzelin de Braucourt、1920年-1998年)がベルギー領コンゴを探検中、ナイル川源流域にあたるエドワード湖の北西部にあるイシャンゴと呼ばれた段丘(現在のウガンダとコンゴ民主共和国の国境付近、ヴィルンガ国立公園内、ゴマ近郊)で遺跡と骨を発見した〔de Heinzelin, Jean: "Ishango", ''Scientific American'', 206:6 (June 1962) 105--116.〕。遺跡は狩猟採集を行っていた痕跡のある小さな集落で、火山の噴火によって埋没したものであり、イシャンゴの骨以外にも刻み目のついた骨や水晶片などが発見されている〔Williams, Scott W.: "Mathematicians of the African Diaspora " The Mathematics Department of The State University of New York at Buffalo.〕〔D. Huylebrouck, ''The Bone that Began the Space Odyssey'' , The Mathematical Intelligencer vol 18 no. 4〕〔Rappenglück (2010),p.22〕。 骨の年代は、初め紀元前9000年から紀元前6500年ごろと推定されたが〔Gerdes, Paulus (1991):On The History of Mathematics in Africa South of the Sahara ; African Mathematical Union, Commission on the History of Mathematics in Africa.〕、発見場所である遺跡を再調査した結果遺跡の年代が1万6千年から2万5千年前であることが判明している〔Marshack, Alexander (1991): ''The Roots of Civilization'', Colonial Hill, Mount Kisco, NY.〕〔Brooks, A.S. and Smith, C.C. (1987): "Ishango revisited: new age determinations and cultural interpretations", ''The African Archaeological Review'', 5 : 65-78.〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「イシャンゴの骨」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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