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イシュプイニ(Išpuini イシュプイニシュ Išpuinišとも)は、ウラルトゥの王。在位:紀元前828年頃‐810年頃。南方のウルミア湖近辺にまでウラルトゥ王国の勢力を拡大した。 == 来歴 == === 征服 === ウラルトゥ王サルドゥリ1世の息子。父の跡を継ぎ、「ナイリの王、偉大なる王、世界の王」を名乗った。軍制改革を推進し、ウラルトゥをオリエントの強国の一角に加えた。南方に勢力を拡大し、マンナエ人の町ムサシルを攻略し、このことはイシュプイニの息子メヌアがケリシン碑文〔ケリシン(Kel-i-Schin)とはクルド語で「聖なる青い石」の意。ウラルトゥ語とアッシリア語の2言語で書かれているこの碑文は、イラク・イラン国境のケリシン峠(標高2981m)に立っている。1837年にドイツ人学者により発見された〕に残した文面から窺うことが出来る。この町をハルディ神に捧げてウラルトゥの重要な宗教都市としたが、同時にこの地方は重要な鉄の産地でもあった。 ウラルトゥの版図をヴァン湖とウルミア湖の間の領域に拡大したイシュプイニは、南方の宿敵アッシリア帝国のシャムシ・アダド5世およびその王妃シャンムラマトとも戦った。またアラス川の北方から南下して来る遊牧民とも戦い、これを撃退したという。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「イシュプイニ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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