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イジェヴァン(、)は、アルメニアのタヴシュ地方北部にある都市。同地方の中心都市である。古くはイスティブラグ(Istibulagh)、カラヴァンサラ(Karavansara)とも呼ばれた。イジェヴァン、カラヴァンサラともに「隊商宿」という意味で、それがアルメニア語かペルシャ語かの違いである〔Kiesling, ''Rediscoving Armenia'', p. 111, available online at the US embassy to Armenia's website 〕。 首都エレバンから北東に137km、エレバンとトビリシを結ぶ幹線道路上にある。鉄道駅は1870年に開業した。イジェヴァン山地とナルテケト山地に抱かれ、付近にはアグスタファ川が流れる。2009年時点の人口は2万500人で、タヴシュ地方では最も多い。現市長のヴァルジャン・ネルシシャンが定数15の市議会と共に市政を運営している。 == 歴史 == 今日のイジェヴァン一帯には古くから人が住んでいたことが判っている。現在の市立病院の近くには石器時代の集団墓地があり、アグスタファ川の左岸には青銅器時代後期の墓地跡がある。伝承によると、約2000年前にアルメニア王アルタヴァスデス1世が建設した街がイジェヴァンの源である。王は美女と男前を集め、結婚させこの街に住まわせた。 レバントと北コーカサスを結ぶ交易の要衝にあったため、この地域にはキャラバンのための宿泊所や大旅館が軒を連ねた。アグスタファ河岸には「ハマム・ジャラ」と呼ばれる中世の隊商宿の跡地がある。ペルシャに支配されていた1780年代に街はカラヴァンサラ村として組織された〔Lusamut 〕。1801年にはグルジアやロリ地方と共にロシア帝国領となった。パーヴェル1世のときにアグスタファ川の谷あいへの移住が許されると、カラバフ地方からおよそ6000家族がカラヴァンサラ村周辺に移り住んだ。街の名がカラヴァンサラからイジェヴァンに改称されたのは、アルメニア独立後の1919年のことであった。 1920年11月29日には北からソビエト連邦の赤軍が攻め入り、アルメニアで最初にソ連に制圧された都市となった。 1970年に都市型集落になった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「イジェヴァン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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