|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ラヴ : [らヴ] 【名詞】 1. love 2. (n) love ・ 公 : [こう] 1. (n,suf) prince 2. lord 3. duke 4. public 5. daimyo 6. companion 7. subordinate ・ 公国 : [こうこく] 【名詞】 1. dukedom 2. duchy 3. principality ・ 国 : [くに] 【名詞】 1. country
イジャスラヴリ公国(、)後にザスラウエ公国()とは、現ベラルーシ・ザスラーウエを首都とした、中世ルーシの分領公国である。その歴史の後半にはリトアニア大公国に所属した。 == 歴史 == 公国の首都のイジャスラヴリは、10世紀末にキエフ大公ウラジーミル1世が、息子の一人であるイジャスラフのために建設した。都市の年代記上の初出は1127年の記述であり、また都市の名はこのイジャスラフにちなむ。イジャスラフは最初のイジャスラヴリ公となった。 イジャスラヴリ公国は11世紀に一時ポロツク公国に組み込まれるが、1101年のポロツク公フセスラフの死後に再び分離し、おそらくフセスラフの子のダヴィドの所領となった。1160年代には、イジャスラヴリ公国からロゴジュスク公国が分離した〔Алексеев(1966),p76〕〔Довнар-Запольский(1891), p56〕。なお1180年代には、イジャスラヴリ公国はロゴジュスク公国の一部を占領している。 1320年代にはリトアニア大公国のアルギルダスの所領となり、1345年にはアルギルダスの兄弟のヤヴーヌティスに与えられた。その後、リトアニアの貴族の家門の一つであるグレボヴィチ家(ru)に譲渡されるまで、ヤヴーヌティスの子孫がザスラウエ公(ザスラウスキー公)として統治した。なお、グレボヴィチ家のヤン(ru)(1544年生 - 1590年没)の統治期には、イジャスラヴリの領主は公(クニャージ)ではなく、伯(グラフ(de))の称号を帯びるようになっていた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「イジャスラヴリ公国」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|