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イスラム美術(イスラムびじゅつ)もしくはイスラーム美術(イスラームびじゅつ)は、ヒジュラ(西暦622年)以降現代に至るまでの、スペイン、モロッコからインドまでに亘る「イスラーム教徒の君主が支配する地域で生み出された美術作品、もしくはイスラーム教徒のためにつくられた作品」〔。ここで小林はを論拠としている。; ; も同様の定義を与えている。〕を指す。 域内での芸術家、商人、パトロン、そして作品の移動のために、イスラーム美術はある程度の様式的な一体性を見せる。イスラーム世界全域で共通の文字が用いられ、特にカリグラフィーが重用されることが一体感を強めている。装飾性に注意が払われ、幾何学的構造や装飾で全体を覆うことが重視されるといった共通の要素も際立っている〔Bernus Taylor, Merthe. « L'art de l'Islam ». in ''Moyen Âge, chrétienté et Islam''. Paris : Flammarion, 1996. p. 445〕。しかし、形式や装飾には国や時代によって大きな多様性があり、そのためにしばしば単一の「イスラーム美術」よりも「イスラームの諸美術」として捉えられる。オレグ・グラバールによれば、イスラームの美術は「芸術的創造の過程そのものに対する一連の姿勢」によってしか定義され得ぬものであった〔Grabar,Oleg. ''La formation de l'art islamique''. Yves Thoraval . Paris : Flammarion, coll. "Champs", 2000. p. 297〕。 建築においては、モスクやマドラサのような特定の役割を持つ建物が非常に多様なフォルムで、しかしながらしばしば同一の基本構造に従って建設された。彫刻はほとんど存在しないが、、象牙、陶器などの工芸はしばしば極めて高い技術的完成にまで達した。聖俗双方の書物の中に見られる絵画とミニアチュールの存在も無視できない。 イスラームの美術は厳密に言えば宗教的なものではない——ここでの「イスラーム」という言葉は宗教ではなく、文明として捉えられる〔『イスラーム美術の形成』においてオレグ・グラバールはイスラーム美術がムスリム美術ではないということをこのように説明している。「『イスラーム美術』は1つの宗教の美術形式を特に指すわけではない。そのモニュメント〔注:ここでのmonumentは「証言となるもの」という原義で理解する必要がある〕にはムスリムの信仰とは僅かしか、もしくは全く関連が見られないのである。ムスリム以外により、ムスリム以外のために作られたのであると明らかになっている美術作品もまた正当に「イスラームの」ものとして研究され得るのである。」(Oleg Grabar, op. cit., p. 11-12.) グラバールはまた、より良く定義しようと努力しながらも「『イスラームの』という概念はあまり明確なものではない」(p. 13)とも言っている。グラバールによれば、イスラームは宗教的な諸傾向によってよりもその時代の初期に「アラブ世界に存在していた文化のインパクトの結果」(p. 132)によって確立された一連の概念によって弁別されるものなのである。〕。「キリスト教美術」や「仏教美術」のような概念とは異なり、「イスラーム美術」において直接に宗教美術が占める部分は比較的小さなものである。また通念とは異なり、実際には人間、動物、さらにはムハンマドを表現したものも存在する。多少の例外はあるが、これらは宗教的な場所や作品(モスク、マドラサ、クルアーン)においてのみ禁止されていたに過ぎない〔Naef, Silvia. ''Y a-t-il une « question de l'image » en Islam.'' Tétraèdre, 2004. p. 59 - 63 en particulier〕。 == 「イスラーム美術」という概念 == この領域の呼称の問題は、研究の初期から難しいものであり続けてきた。19世紀のヨーロッパでは「アラブ美術」「ペルシア美術」「トルコ美術」「サラセン美術(とりわけ「サラセン様式」という呼称として)」「ムーア美術」のように地理や民族により個別に名付けられていたものが、19世紀末にはオリエント学を背景に1つの「イスラーム美術」もしくは「ムスリム美術」として捉えられるようになった。「マホメット美術」「ムスリム美術」のような宗教的な呼称は、「」や「仏教美術」の場合と異なりイスラム教が礼拝のための聖像や聖具を持たず、作品の相当な部分が世俗的なものであったことから不適切であり〔; 〕、「イスラーム」という語が、その宗教的でなく文化的な受け取られ方により、20世紀後半には好まれるようになった。 しかしながら、そのような美術の一体性の問題は微妙なものであり続け、たとえばオレグ・グラバールは『イスラーム美術の形成』においてこれに疑問を投げ掛けている。このため美術史家は「イスラームの諸美術」(arts de l'Islam)という表現を好むようになりつつあるが、「イスラーム美術」(art islamique)という表現も依然として頻繁に出版物に見られる〔1971年以降、はルーヴル美術館での展示に「イスラームの諸美術」という呼称を用いるようになり、1993年には「イスラームの諸美術部門」(ルーヴル美術館サイトの日本語訳では「イスラム部門」となっている。イスラム美術 | ルーヴル美術館 )が創設されるに至った。呼称の問題に関する研究としては、特に以下の文献を参照。Makariou, Sophie. « Arabes versus Persans : génie des peuples et histoire des arts de l'Islam », in Labrusse, R. (dir.) ''Purs décors ? Arts de l'Islam, regards du XIXe siècle'' exp. Paris : musée des arts décoratifs, 2007-2008 , Paris : Les arts décoratifs/musée du Louvre éditions, 2007, p. 188-197〕。ジョナサン・ブルームとシーラ・ブレアは、「イスラーム美術」という考え方自体がイスラームの側からではなく、その外部の人々によって作り出された「明らかに現代的な概念」であると指摘している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「イスラム美術」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Islamic art 」があります。 スポンサード リンク
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