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イタリア・ロシア戦域軍(英語:Italian Army in Russia、イタリア語:Armata Italiana in Russia)は、第二次世界大戦の東部戦線に派遣されたイタリア陸軍部隊。 派遣当初の3個師団規模の際には「イタリア・ロシア派遣軍」(Italian Expeditionary Corps in Russia)と呼ばれた。 == 背景 == 1941年6月22日、バルバロッサ作戦開始後すぐにムッソリーニは東部戦線への遠征を準備するように軍部に伝えた。ただでさえ軍の物資や装備が不足する中の計画に少なからぬ軍高官が反対している。ヒトラーも東部戦線への派兵をムッソリーニに無理強いせず、代わりに北アフリカ戦線への増援を要請した。ムッソリーニ自身もヒトラーの対英戦を放置した二正面作戦を「狂気」と批判したが、それ故に対英戦の勝敗を云々する状態ではなくなったと判断していた。部隊は温存されていた精鋭の自動車化師団、快速師団、山岳師団から編成され、機動性は十分にあったが対戦車戦力が極めて欠乏しており、T-34戦車との戦闘が不安視されていた。 司令官は初め、フランチェスコ・ジンガレス大将が務める予定だった。しかし輸送中のウィーンで病に倒れた事から1941年7月14日、ジョヴァンニ・メッセ中将に交代した。メッセはムッソリーニの見栄を重んじるような無計画な装備での遠征を批判しつつも、優れた采配で軍を率いて戦果を得た。しかしドイツ軍からの増援要請にも反対した為、遂に解任され北アフリカ戦線のドイツ・イタリア戦車軍の指揮官へと移された。一方、北アフリカから入れ替わる形で後任に着任したイータロ・ガリボルディ大将(リビア総督)は逆にドイツ軍の戦争計画に協力的であり、それが元で戦後の戦争責任を問われることとなった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「イタリア・ロシア戦域軍」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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