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イッセン・ハブレ : ウィキペディア日本語版
イッセン・ハブレ

イッセン・ハブレHissène Habré1942年9月13日 - )は、チャド軍人政治家。同国元首(大統領)を務めた(在任1982年6月 - 1990年12月)。
== 内戦と政権掌握 ==
ハブレはチャド北部の出身。チャドは1960年の独立後、非イスラム主体の南部を基盤とするフランソワ・トンバルバイ政権が独裁を強化し、イスラム教徒の多い北部を冷遇していた。このため、早くから北部側ではグクーニ・ウェディ率いる反政府組織「チャド民族解放戦線(FROLINAT)」が組織され、ハブレも加わった。
トンバルバイがフェリックス・マルーム将軍のクーデターで殺害される(1975年)と内戦終結が図られ、ハブレは1978年8月に政府の首相に就任した。翌年にはグクーニ大統領、ハブレ国防相による民族統一暫定政府(GUNT)が発足した。
しかし、グクーニとハブレが対立し、ハブレ派の (FAN)、グクーニ派の (FAP)の間で再び内戦が勃発した(1980年3月)。これにチャド北部アオゾ地域のウラン資源を狙うリビアカダフィ政権が介入し、カダフィ支援の下でグクーニが首都を制圧した(1980年12月)。リビア軍の撤退後、ハブレは1982年6月首都を奪回して10月に大統領に就任した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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