|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。
イディル・ビレット(İdil Biret, 1941年11月21日 アンカラ - )はトルコの女流ピアニスト。 == 経歴 == ナディア・ブーランジェとアルフレッド・コルトーに学んだミトハト・フェンメンに5歳で入門してピアノを始める。7歳のとき、トルコ議会が特別法を通過させたおかげで、幼くして留学が可能となり、パリ音楽院に入学してブーランジェらの指導を受ける一方、ブラームスなどの作曲家を、マドレーヌ・ド・ヴァルマレットから教わる。15歳のとき3つの部門で受賞して卒業すると、コルトーやヴィルヘルム・ケンプに師事してさらに研鑚を積んだ。 16歳から数々の国際的に名高いオーケストラと共演しており、これまでにロンドン交響楽団、ボストン交響楽団、レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団、ドレスデン・シュターツカペレ、スイス・ロマンド管弦楽団、フランス国立管弦楽団、シドニー交響楽団と演奏している。共演した指揮者に、ヘルマン・シェルヘンやピエール・モントゥー、エーリヒ・ラインスドルフ、ルドルフ・ケンペ、ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー、ラファエル・フリューベック・デ・ブルゴス、チャールズ・マッケラス、ジャン・フルネ、モーシェ・アツモン、岩城宏之がいる。ボストン交響楽団でのアメリカ・デビュー当日にケネディ大統領暗殺事件が起き、聴衆に事件が伝えられた直後に演奏する事となった。 ブーレーズのピアノ・ソナタ、リゲティの練習曲、それぞれの全曲録音がある唯一の女流ピアニストであることでも知られる。リゲティの練習曲14A「終わりの無い柱」を、女流で録音した例はこれのみ。ブーレーズのピアノソナタ第二番をスタジオで「再録」した例は、世界で彼女しかいない。 ベルリンやモントリオール、イスタンブル、ドゥブロヴニク、モンペリエ、ノアーン、アテネなどの音楽祭にも客演。審査員としては、ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールやエリザベート王妃国際音楽コンクール、ヴァイマル・フランツ・リスト国際ピアノコンクール、フェルッチョ・ブゾーニ国際ピアノコンクールに参加している。近年では第2回リヒテル国際ピアノコンクールにも審査員参加した。今後も審査員活動は続ける模様。 == レパートリー == ビレットのレパートリーはかなり幅広く、盛期古典派音楽から現代音楽にまで跨っている。代表的なものとして1990年代から2000年代にナクソス・レーベルより発表された、ショパンとブラームス、ラフマニノフのピアノ曲は全曲演奏を記録している。当初ビレットは現代音楽弾きとしても売り出された過去があり、多くのピアニストが得意とするラヴェルやドビュッシー、プロコフィエフなどを素通りしてミャスコフスキー、ブクレシュリエフ、ブーレーズ、ウェーベルン、カスティリオーニ、サイグンなどを録音したため、録音物のみではレパートリーが偏っている印象を受けるが、本人はバッハからデビュー当時に現代音楽とみなされた作曲家まですべて弾ける。 1980年代にはEMIより、リスト編曲のベートーヴェンの交響曲全集を6枚のアルバムとして発表。1997年には、ブラームス没後100周年を記念して、5回の連続リサイタルにおいてピアノ曲の全曲演奏を行い、また2曲のピアノ協奏曲を演奏している。2003年には、やはりナクソスより、ストラヴィンスキーのバレエ音楽《火の鳥》全曲のピアノ版を発表した。マルコ・ポーロ・レーベルからは、恩師ケンプの作品・編曲集を発表している。 1980年代後半から2000年代にかけてNAXOSレーベルに移った際、使用楽器と録音機材の制限による品質の低い録音が多く出たが、現在はイディル・ビレット・アーカイヴズを新規に設立して一切の制限の無いデジタル録音を送り出し続けている。ベートーベンのピアノソナタ;コンチェルト&シンフォニー全集の録音は完了、現在は近代音楽以前の作曲家の新録音がリリースの中心になっており、ダウンロード専売にも対応し始めている。 2011年は、リストの超絶技巧練習曲集の第二版を69歳で全曲録音したことが、話題となった。現在シューマンのピアノ作品集成に全力で取り組んでいる。常に新しい録音で臨む「生涯現役」型のピアニストである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「イディル・ビレット」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|