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イトムカ鉱山(イトムカこうざん)は、北海道網走支庁(現・オホーツク総合振興局)管内常呂郡留辺蘂町(現・北見市留辺蘂町)にあった鉱山のことである。良質な水銀が採掘できる鉱山であった。ちなみにイトムカとはアイヌ語で「光輝く水」の意味。 座標:イトムカ鉱山イトムカ区(元山) 座標:イトムカ鉱山大町区 == 歴史 == 1936年(昭和11年)の暴風雨の際、倒木の撤去作業中に、良質の辰砂を発見した。1941年(昭和16年)頃から、当時の野村財閥の資本にて本格的な採掘が始まる。主要鉱石が自然水銀という世界的にも珍しい鉱山であり(他の水銀鉱山においては辰砂が中心)、採掘機器の熱によって無機水銀中毒を引き起こす恐れのある水銀蒸気が発生したために防毒マスクを着用して採掘した。ただし、重労働による疲労と熱気などから、マスクを外してしまい無機水銀中毒にかかる者も多かったという。また、一般的に辰砂が中心の水銀鉱山では、選鉱は手選鉱に留める事が多いのに対し、自然水銀が主体のイトムカ鉱山では製錬の前に浮遊選鉱による選鉱を必要とした(自然水銀の大半は選鉱過程で収集され、製錬を経ずに精製されて製品化された)。現在も保存されている選鉱場はこの名残である。 水銀が貴重な軍事物資だったこともあり、置戸町に支山を開発(終戦後に閉山)するなど増産を重ねて戦時中に生産量が最大となり、東洋一の規模を誇った。戦時中には水銀を使用した農薬の研究も行われ、戦後に旧野村鉱業から独立した北興化学工業の原型となった。 戦後の一時期は、野村財閥解体の余波や軍部が備蓄していた水銀ストックの市場放出による価格低迷などから、通常の水銀生産を中止して水銀系農薬を製造販売したり、食料対策用の農場で小豆を生産して羊羹を駅売りしたりするなど経営の混乱が見られた。しかし、1950年代以降は乾電池・蛍光灯・船底塗料などの材料として再び増産を開始、採掘が続けられた。その後はアラスカ産など安い海外産の鉱石にシェアを奪われ、採掘部門の縮小(不足分をアラスカ産鉱石で補充)や精錬所の改良などでコスト削減につとめていた。しかし、水俣病問題を発端とする公害問題により、重要な顧客であったソーダ工業での水銀使用廃止(1973年)などによって、水銀の需要が低下。1970年には大規模な人員整理が行なわれ、鉱山の規模が数十人に縮小した。1974年(昭和49年)に採掘を中止した。 なお、閉山後の多くの坑内労働者は技術者として日本各地のトンネル工事現場に請われ、新着のスーツを着てヤマを降りていったという。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「イトムカ鉱山」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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