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イードメネウス(〔John Walker & William Trollope, 1830, ''A key to the classical pronunciation of Greek, Latin, and scripture proper names,'' p 68; Robert Palfrey Utter, 1918, ''Every-day pronunciation,'' p 127〕;, 「イーデーの力」の意味)はギリシア神話の登場人物。クレタの王。の息子、クレタ王ミーノースの孫。息子の名はオルシロコス〔オデュッセイア第13歌〕。 ヘレネーの求婚者の一人としてクレタの軍勢80艘を率いてトロイア戦争に参加する〔イーリアス第2歌、652〕。は彼の従者であり戦友。アガメムノーンの助言者の一人。トロイア戦争当時には初老であったが〔イーリアス第13歌、361および第23歌、476-477〕、アガメムノーン、ディオメーデース、オデュッセウスといったアカイア勢の英雄たちがヘクトールの猛攻で傷つき倒れた際に、危地を救うべく奮戦している〔イーリアス第13歌〕。トロイアの木馬の中にいたアカイア勢の一人であり、13人の敵兵とブレムーサ(トロイア側の援軍アマゾーンの一人)を倒している〔スミュルナのコイントス「トロイア戦記」〕〔ガイウス・ユリウス・ヒュギーヌス「神話集」114.〕。トロイア戦争を無事に生き残り帰国した。 アテーナイのアポロドーロスによる後の伝承では、帰国する際にイードメネウスの船は嵐に遭遇し、ポセイドーンに「この状況から救ってくれるのなら、国に戻って初めて会うものを生け贄に捧げる」と誓った。しかし初めて出会ったものは彼の息子で、イードメネウスは彼を生け贄に捧げた。神は息子を生け贄に捧げたことに怒り、疫病をクレタに遣わし、クレタ人はイードメネウスを追放した〔ウェルギリウス 「アエネーイス」 Book III, 400.〕。その後彼はアナトリア半島のコロポンで亡くなった〔Scholiast on Homer ''Odyssey'' ν 259〕。マルクス・テレンティウス・ウァロによると、サレンティーニ人は彼の子孫である〔Operum quae exstant, p. 174, Marcus Terentius Varro, printed by Christophorus Raphelengius, 1601.〕。 他の伝承では、レウコスという男がイードメネウスの妻メーダーを誘惑し、後に殺害、王位を奪ってイードメネウスをクレタから追放した〔ビブリオテーケー 〕。 Achterbergらの仮説によれば、ファイストスの円盤はイードメネウスに言及している( ''i-du-ma-na'' という単語が存在する B.IX)〔Achterberg, Winfried; Best, Jan; Enzler, Kees; Rietveld, Lia; Woudhuizen, Fred, ''The Phaistos Disc: A Luwian Letter to Nestor'', Publications of the Henry Frankfort Foundation vol XIII, Dutch Archeological and Historical Society, Amsterdam 2004.〕。 モーツァルトの1781年のオペラ・セリア、イドメネオはイードメネウスのクレタへの帰還を題材にしている。 ==系図== 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「イードメネウス」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Idomeneus 」があります。 スポンサード リンク
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