翻訳と辞書
Words near each other
・ イドリースィー
・ イドリース教団
・ イドリース朝
・ イドロ
・ イドロケベック
・ イドロプヌマティク
・ イドロ・ケベック
・ イド・アル=アドハ
・ イド・アル=フィトル
・ イド・ソフトウェア
イド・ド・ブローニュ
・ イドース
・ イドーラ
・ イド語
・ イド語版ウィキペディア
・ イナ
・ イナまんじゅう
・ イナイ×イナイ
・ イナイチ
・ イナイリュウ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

イド・ド・ブローニュ : ミニ英和和英辞書
イド・ド・ブローニュ[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ブロー : [ぶろー]
 【名詞】 1. blow 2. (n) blow
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

イド・ド・ブローニュ : ウィキペディア日本語版
イド・ド・ブローニュ[ちょうおん]

イド・ド・ブローニュ (Ide de Boulogne、1040年? - 1113年)は、ブローニュ伯ウスタシュ2世の妃。カール大帝の子孫にあたる。下ロレーヌ公ゴドフロワ3世(2世)の子。ローマ教皇ステファヌス10世の姪にあたる。彼女はその信仰心と慎み深さで列福された〔Voir site Nominis 〕。聖名祝日は4月13日である。
マンステールビルザン修道院で教育を受けたイドは、17歳、1056年頃にウスタシュ2世と結婚した。夫妻には優れた子供3人が生まれ、ウスタシュとイドはキリスト教教育を授けた。
大いなる信仰心から、彼女はベネディクト会のノートルダム・ド・ベック修道院院長であるカンタベリーのアンセルムスの精神的な指導下にあった。彼らが交わした書簡の一部が現存している。彼女はしばしば、十字軍に参加している息子ゴドフロワの武運を祈り、聖地の聖遺物を受け取り、息子の保護下にある数多くの修道院に寄進した。
1087年に夫が死ぬと、所領と財産の管理はイドに託された。彼女はこの資産を使って貧者を助け、教会や修道院を建立または修復した。特に自らが学んだマンステールビルザン、ブローニュのノートルダム教会、サン・ウルメール教会が知られる。多くの修道院がピカルディに建設され、そのうちの1つサン・ヴァースト修道院にイドは埋葬された。遺体は何度も移転を繰り返したあと、最終的にバイユーのベネディクト会派修道院に埋葬された。1478年、ルイ11世はイドをブローニュおよびその伯領の守護人とした。
==子女==

*ウスタシュ3世(1058年 - 1125年) - ブローニュ伯
*ゴドフロワ(1061年 - 1100年) - 下ロートリンゲン公エルサレム初代聖墓守護者
*ボードゥアン(1065年 - 1118年) - 初代エデッサ伯、初代エルサレム

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「イド・ド・ブローニュ」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.