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イナブの戦い(Battle of Inab、1149年6月29日)は、十字軍国家アンティオキア公国及びニザール派の連合軍と、ザンギー朝とブーリー朝の連合軍との間で起こった戦い。この戦いによりアンティオキア公国は君主を失い、イスラーム側の勢力は地中海に達した。 == 背景 == 第二回十字軍の際の連合によりブーリー朝のムイーヌッディーン・ウヌルとの関係を強めたザンギー朝のヌールッディーン・マフムードは、北シリアでの彼の権威を確固たるものとすべくアンティオキア公国への攻勢に出ていた。いくつかの小競り合いの後、ヌールッディーンはウヌルに援軍を要請し、大規模な攻勢に打って出ることになる〔Asbridge pp. 239-40〕。 ヌールッディーンはまずハーリムとアパメアを攻撃してアンティオキア公国に圧力をかけ、その上でイナブの城塞を包囲してレーモンを戦場に引きずりだした〔Asbridge p. 240〕。 この戦いにはヌールッディーン率いるザンギー朝軍の他、ウヌルが派遣してきたサルハドのアミール、ムジャーヒドゥッディーン・ブザーン率いるブーリー朝軍も含まれており、騎兵だけで6000を数えた〔Ibn al-Qalanisi p.291〕〔Asbridge p. 239〕〔Elisseeff p. 431〕。 一方、アンティオキア公国軍はクルド人アリー・イブン・ワファー率いるニザール派の兵と連合し、歩兵1000、騎士400を揃えてイナブへ急行した〔〔Asbridge p. 241〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「イナブの戦い」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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