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イバン・マヌエル・ノバ・グアンス(Iván Manuel Nova Guance , 1987年1月12日 - )は、ドミニカ共和国・サン・クリストバル出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。現在は、MLBのニューヨーク・ヤンキースに所属している。 == 経歴 == 7月15日にニューヨーク・ヤンキースと契約した。 、傘下のルーキー級ガルフ・コーストリーグ・ヤンキースでプロデビュー。10試合に登板し、3勝0敗1セーブ・防御率2.72だった。 はA級チャールストン・リバードッグスで21試合に登板し、6勝8敗、防御率4.98だった。 はA+級タンパ・ヤンキースで26試合に登板し、8勝13敗・防御率4.36だった。オフの12月11日に行われたルール・ファイブ・ドラフトでサンディエゴ・パドレスから指名を受けて移籍した。 2月27日にパドレスと1年契約に合意。スプリングトレーニングでは8試合に登板したが、防御率8.31と結果を残せず、スプリングトレーニング終了後にウェーバー公示されたため、ルール・ファイブ・ドラフトの規約で3月29日にヤンキースに戻ることとなった。この年はAA級トレントン・サンダーで12試合に登板後、6月にAAA級スクラントン・ウィルクスバリ・ヤンキースへ昇格。AAA級スクラントン・ウィルクスバリでは12試合に登板し、1勝4敗・防御率5.10だった。オフの11月20日にヤンキースとメジャー契約を結んだ。 3月12日にヤンキースと1年契約に合意。3月15日にAAA級スクラントン・ウィルクスバリへ配属され、開幕を迎えた。5月10日にメジャーへ昇格し、13日のデトロイト・タイガース戦でメジャーデビュー。6点ビハインドの7回裏から登板し、2回を2安打無失点1奪三振に抑えた。17日に朴賛浩が故障者リストから復帰したため、AAA級スクラントン・ウィルクスバリへ降格。8月21日に再昇格した。再昇格後は先発としてプレーし、8月29日のシカゴ・ホワイトソックス戦では5.2回を5安打1失点に抑え、メジャー初勝利を挙げた。この年は10試合に登板し、1勝2敗・防御率4.50だった。 は開幕ロースター入りし、先発ローテーションに定着。28試合に登板し、CC・サバシアに次ぐチーム2位の16勝(4敗)を記録した。新人王資格が残っていたため、ルーキー・オブ・ザ・イヤーにノミネートされたが、投票では4位だった〔Yankees right-hander Ivan Nova falls short of American League Rookie of the Year Award MLB.com〕。 3月7日にヤンキースと1年契約に合意。8月23日に右肩の故障で15日間の故障者リスト入りした。9月8日に復帰。この年は故障で離脱したものの、28試合に登板し、12勝8敗・防御率5.02だった。 4月27日に右の三頭筋を故障したため故障者リスト入りし、その後復帰したが5月30日にAAA級スクラントン・ウィルクスバリに降格。6月23日に再昇格した後は2完封を上げるなど好調で、規定投球回数には届かなかったものの、先発投手の中心として活躍した。 1月17日にヤンキースと330万ドルの1年契約に合意し、開幕ロースター入りした。4月20日に右肘内側側副靱帯の損傷で、15日間の故障者リスト入りした。トミー・ジョン手術を受けるため、4月24日に60日間の故障者リストへ異動した。4月29日、手術は予定通り執り行われた。この年は故障の影響で4試合に登板し、2勝2敗、防御率8.27だった。 1月14日にヤンキースと330万ドルの1年契約に合意した。 6月24日のフィラデルフィア・フィリーズ戦で約14ヶ月ぶりにメジャー復帰し、6.2回を無失点に抑えて復活の白星を挙げた〔Nova sparkles in return, leads Yankees over Phillies 10-2 〕。結局この年は17試合全てに先発投手としてマウンドに登り、6勝を挙げたものの負けがこみ (11敗) 、防御率も5.00台に終わるなど、完全復活とはならなかった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「イバン・ノバ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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