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イブキライズアップとは日本のサラブレッド競走馬である。高知競馬場で18連勝を記録し、その後も高知県知事賞を優勝した。中央競馬時代も含めて、常に脚元の不安と闘いながら2001年 - 2005年まで活躍した、高知競馬の「芦毛の貴公子」。 == 経緯 == 当初は中央競馬に所属。デビューは大幅に遅れ、初出走は2001年9月30日、3歳未勝利戦(JRA新潟競馬場)。ここで、9着に終わり、怪我による出走が難しい状態もあってその1戦限りで高知競馬場に移籍した。 調教師や厩務員などによる懸命な治療を重ねてきた結果、翌2002年1月3日、高知競馬で初出走。移籍緒戦のE級戦は3着だったが、2戦目の1月21日、E級戦で初勝利を挙げるとここから連勝が始まり、翌2003年8月3日の横浪特別(オープン特別)まで18連勝を飾った。1972年に高知競馬場で記録した、プランジャーの20連勝に迫る勢いと、周囲の期待も高まった。 同年8月18日は佐賀競馬場のダートグレード競走であるサマーチャンピオンへ、重賞初挑戦かつ初遠征での出走となった。果敢に先行策でのレースを行うが、6着に終わり連勝記録が止まった。 その後も3連勝したものの、再び脚元の状態が悪化し周囲が期待する様なレースを行う事が困難となる。 しかし2004年の大晦日に行われた重賞・高知県知事賞にて初の重賞制覇を果たし再び復活。この勝利に場内はファンは湧き上がった。 その後も高知唯一のダートグレード競走・黒船賞に出走したが8着。 2005年7月10日のルビー特別(A級特別)で、スタート直後に故障発生し競走中止。診断の結果、左前肢第一指骨の複雑骨折と判明。6日後の7月16日、関係者の懸命な治療もむなしく自力での起立が困難になった為予後不良と判断、安楽死処分が取られる事になった。 その後「この馬がいたからハルウララの人気に繋がった」という声が関係者からあった。しかし、高知競馬は当初、連勝中のイブキライズアップを高知競馬の看板馬として全国的に宣伝した際に、連敗中のハルウララも抱き合わせ的に取り上げたところ、結局ハルウララの方が有名になっている。 この馬について主戦騎手の花本正三騎手は、「騎手生活24年(2003年当時)で、こんなすごい馬は初めて」と話し、調教師の宮路洋一も、「名古屋競馬での騎手時代を含め、私が担当した中で最強の馬」と語った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「イブキライズアップ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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