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イブン・バーッジャ( Ibn Bājjah、 Abū Bakr Muḥammad ibn Yaḥyā ibn al-Ṣā'igh ibn Bājja al-Tujībī al-Andalusī al-Saraqusṭī、1095年? - 1138年)は、スペイン・アンダルシア地方で活躍したイスラム哲学者。イブン・ルシュドを頂点とする西方イスラーム哲学の歴史に現れた最初の哲学者で、神秘主義を排除し、徹底した合理主義を唱え、後のヨーロッパの哲学に大きな影響を与えたイブン・ルシュドの思想の基礎作りを行った重要な人物である。ヨーロッパ語圏では、ラテン語化されたアヴェンパーケ(Avempace)の名でもよく知られている。イブン=トゥファイル、イブン=ルシュドとならぶアンダルス地方の代表的な哲学者、詩人、音楽家である。 == 経歴 == 生年はよく分かっていないが、1095年という資料もある。サラゴサの生まれ。1118年にセビリアへ来て、ムラービト朝に仕え、宰相となった。多くのイスラム哲学者が神秘的な傾向を強め、隠遁的な生活を送るのに対して、イブン・バジャは、徹底的に社会に向かって政治の仕事に励んだ。多忙であったのと若くして没しているために、彼の手がけた著作は余り多くない。多くは未完のままである。しかし、優れたアリストテレスの自然学の注解や哲学のみならず、天文学や物理学にまで及んだ幅広い知識は、当時の王朝では有名で「知識の宝庫」とまで称された。その卓越ぶりは、彼の弟子でもあるイブン・トファイルらを通じても知る事が出来る。 その思想はアリストテレスの解釈から始まり、合理的で、知性に重きを置いた「知性唯一説」を彷彿とさせる思想を説く。これは、イブン・ルシュドのほか、後のアルベルトゥス・マグヌスらに多大な影響をあえた。その思想は、東方イスラーム哲学とはだいぶ趣が異なり、現実的で合理的な傾向が強く、無神論のレッテルを貼られることも多かった。この傾向は、西方イスラーム哲学全体の特徴にもなった。 彼は、哲学的な思索と同じくらい、政治家としての実務に力を注いだが、この行為がやがて政敵を多く作り、またその思想的特徴からして無神論者のレッテルも貼られ敵対視されるようになっていった。彼は1138年に没しているが、おそらく何者かに殺されたものといわれている。 日本語訳された著書に『孤独者の経綸』、『知性と人間の結合』が、「中世思想原典集成.11 イスラーム哲学」にある。(上智大学中世思想研究所編訳、平凡社、2000年) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「イブン・バーッジャ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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