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イプシ・モレノ(, 1980年11月19日 - )は、キューバの陸上競技選手で、ハンマー投の選手。モレノは、アテネオリンピックおよび北京オリンピックの2大会の銀メダリストである。また、世界選手権では、2001年と2003年を連覇し、その後も2大会で2位を記録している。 == 経歴 == モレノは11歳のときに陸上競技を始め、最初は砲丸投や円盤投を行っていた。当時、女子ハンマー投は公式の種目ではなかったためである。しかし、1993年以降、国内で女子ハンマー投が普及するにつれ、最終的にモレノはハンマー投を専門とするようになった。徐々に実力を伸ばし、1998年の世界ジュニア選手権で4位入賞。翌年には66.34mの世界ジュニア記録(当時)をマークするが、同年の世界選手権では58.68mで18位に終わった。 2000年、シドニーオリンピックでは、当時の世界記録保持者ミハエラ・メリンテ(ルーマニア)がドーピング疑惑により直前に出場を取りやめる中、4位入賞を果たす。2001年には自己記録を70m以上まで伸ばし、世界選手権ではカミラ・スコリモフスカ(ポーランド)、オリガ・クゼンコワ(ロシア)といった強豪を抑えて優勝。記録は70.65mの北中米新記録(当時)で、クゼンコワとは4cm差であった。 2003年、7月に自己記録を75mまで伸ばすなど調子を上げ、世界選手権では連覇を達成。2004年、4月に自己記録を更新する75.18mを記録するなど、アテネオリンピックの優勝候補であった。しかし、迎えたオリンピックでは、それまで世界大会で4大会連続で2位に終わっていたクゼンコワが好調であった。クゼンコワは予選からオリンピック記録を更新する73.71mを記録すると、決勝は75.02mまで記録を伸ばして優勝。モレノはファウルが多く、終始クゼンコワにリードを許し、2位であった。2005年の世界選手権では、女子選手2人目の3連覇が懸かっていた〔世界選手権で3連覇を達成していた女子選手は、当時は砲丸投のアストリッド・クンバーヌス(ドイツ)のみであった。2015年1月現在でも、クンバーヌス、七種競技のカロリナ・クリュフト(スウェーデン)、200mのアリソン・フェリックス(アメリカ)、砲丸投のバレリー・アダムス(ニュージーランド)、走幅跳のブリトニー・リース(アメリカ)の5人しか達成していない。〕。決勝では、7月に77.06mの世界記録(当時)をマークしていたタチアナ・ルイセンコ(ロシア)は上回ったものの、今大会もクゼンコワに敗れ、雪辱ならず2位に終わった。 2007年の世界選手権では、予選でクゼンコワが敗退し、決勝は前年から急成長を遂げたベティ・ハイドラー(ドイツ)との一騎打ちとなった。ハイドラーが74.76mを出す中でのモレノの6投目、モレノのハンマーはハイドラーの記録を超えたかに見えたが、2cm及ばず74.74mであった。2008年の北京オリンピックでは、アクサナ・ミアンコワ(ベラルーシ)が、オリンピック新記録の76.34mをマークして優勝。なお、モレノの記録75.20mも当時のオリンピック記録を上回るものであった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「イプシ・モレノ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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