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イペク・セノグル
イペク・セノグル(İpek Şenoğlu, 1979年6月8日 - )は、トルコ・エスキシェヒール出身の女子プロテニス選手。彼女はトルコ人選手初の4大大会出場・WTAツアーダブルスランキング100位以内突破などの業績を持っている。キャリアを通じてシングルスよりもダブルスを得意にしており、4大大会でもシングルスの出場はない。単複共にツアー優勝はないが、ダブルスで準優勝が1度ある。自己最高ランキングはシングルス293位、ダブルス53位。 == 来歴 == セノグルは4歳からテニスを始め、1994年に15歳でトーナメントに初出場した。17歳の時、1996年に初めて女子テニス国別対抗戦・フェドカップのトルコ代表選手に選ばれる。最初はトルコ国内の小規模なトーナメントを回り、2001年から国外の試合に挑戦を始めた。2002年6月、ウズベキスタン開催の大会でWTAツアーの予選会に初出場する。2004年の全米オープンで、セノグルはローラ・グランビル(アメリカ)と組んで女子ダブルスに出場し、トルコ人選手として最初の4大大会出場者になった。この大会では3回戦まで勝ち進み、第1シードのビルヒニア・ルアノ・パスクアル(スペイン)&パオラ・スアレス(アルゼンチン)組に 2-6, 4-6 で敗れた。それから2005年全豪オープンにも出場し、女子ダブルス2回戦まで進出した。その後故障に悩み、5月から11月まで半年間の戦線離脱を経験している。 それから3年後の2008年4月、セノグルは「エストリル・オープン」にて、初めてWTAツアー大会のダブルス決勝に進出した。パートナーはメルバナ・ユギッチ=サルキッチ(ボスニア・ヘルツェゴビナ)で、敗れた相手は第1シードのマリア・キリレンコ(ロシア)&フラビア・ペンネッタ(イタリア)組であった。この準優勝を契機に、彼女はダブルスで再浮上のチャンスを得た。6月のウィンブルドンから、このトルコ人女性の姿が4大大会女子ダブルスに戻ってくる。セノグルはトルコ出身の選手として最初のウィンブルドン出場者になり、メリンダ・ツィンク(ハンガリー)と組んで女子ダブルスの予選会に足を踏み入れたが、ここでは予選1回戦敗退に終わった。それから全米オープンで、4年ぶり2度目の全米女子ダブルスに出場した。 30歳を迎えた2009年、イペク・セノグルは年頭からWTAツアー大会でダブルスのフルシーズンを送れるようになった。5月のBNLイタリア国際ではヤロスラワ・シュウェドワ(カザフスタン)とペアを組み、WTAプレミアトーナメント(グランドスラム大会に続く高額賞金大会群)の準決勝に進出した。それから全仏オープン女子ダブルスでヤニナ・ウィックマイヤー(ベルギー)と組み、トルコ人選手として最初の全仏オープン出場を果たす。続くウィンブルドンで、セノグルはカイア・カネピ(エストニア)と組み、2004年全米オープン以来の3回戦進出を決めた。3回戦では第12シードのアンナ=レナ・グローネフェルド(ドイツ)&バニア・キング(アメリカ)組に 3-6, 3-6 で敗れた。 セノグルは2012年4月にベルギーの下部大会に出場したのを最後に公式試合から遠ざかっている。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「イペク・セノグル」の詳細全文を読む
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