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イラクリ・ラバーゼ : ミニ英和和英辞書
イラクリ・ラバーゼ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

イラクリ・ラバーゼ : ウィキペディア日本語版
イラクリ・ラバーゼ[ちょうおん]

イラクリ・ラバーゼIrakli Labadze, , 1981年6月9日 - )は、グルジアトビリシ出身の男子プロテニス選手。グルジア国籍の選手として初めてATPランキングトップ100位に到達した選手である。ツアー優勝の経験はないが、ダブルスで3度の準優勝がある。自己最高位はシングルス42位、ダブルス100位。身長188cm、体重85kg。左利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。
== 来歴 ==
ラバーゼはサッカー選手であった父の指導の下、6歳からテニスを始めた。1998年ウィンブルドンジュニア男子シングルスで、ロジャー・フェデラーに敗れて準優勝になったことがある。同年にプロ入り。下部大会でしばらく下積み生活を送った後、2001年頃からランクも上昇し、ツアー大会にも出場できるようになる。9月の中国上海大会1回戦で、当時ランキング2位のアンドレ・アガシをストレートで下すという大番狂わせを演じていた。この年はダブルスでツアー2大会で準優勝を遂げ、シングルスより一足先にトップ100に食い込んでいる。
ラバーゼは2004年にランキングの更なる飛躍をみせた。年初のオーストラリアアデレード大会からシングルス5連敗という不調の中出場した3月のインディアンウェルズ・マスターズにおいてその年シングルス初勝利を挙げ、続く2回戦では当時世界ランク7位、スペインカルロス・モヤを下し勢いに乗ったラバーゼはイギリスティム・ヘンマンとの準決勝まで進出する。また4月のポルトガルエストリル・オープンにおいても準決勝に進出。上記の活躍から同年6月にはシングルスランキングを自己最高位の「42位」まで上昇させた。
2005年以降はトップ100から転落しているものの、ラッキー・ルーザーとして出場した2006年ウィンブルドンで久々の好成績を出した。この大会ではシングルスでラファエル・ナダルスペイン)との4回戦まで進み、ダブルスでも3回戦に進出した。これは単複ともに彼の4大大会自己最高成績である。
ラバーゼは2011年8月のウズベキスタンサマルカンドのチャレンジャー大会のダブルスに出場したのを最後に公式戦から遠ざかっている。
ソビエト連邦の解体によるグルジアの独立以降、WTAツアーで単複10勝を挙げ、バルセロナ五輪EUNチームとして出場し、ダブルス銅メダルを獲得したや若手のが台頭しているが、国際的な活躍を果たした男子選手はラバーゼただ一人である。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「イラクリ・ラバーゼ」の詳細全文を読む




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