|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 会 : [かい] 1. (n,n-suf,vs) meeting 2. assembly 3. party 4. association 5. club ・ 会戦 : [かいせん] 1. (n,vs) engagement 2. battle ・ 戦 : [いくさ] 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight
イラワジ会戦は1944年12月から1945年3月28日にかけて行われた日本軍とイギリス連邦軍との戦い。英軍が勝利した。イラワジ会戦は狭義ではメイクテーラ会戦を含まないが、本稿ではメイクテーラ会戦も併せて述べる。 ==背景== 1944年後半、日本を取り巻く戦略状況は著しく悪くなっていっていた。ビルマの第15軍はインパール作戦で戦力の過半を失い、雲南方面では中国遠征軍の強圧にさらされていた。インパール作戦後、日本軍はビルマ方面軍および第15軍司令部員を刷新、方面軍司令官には木村兵太郎中将、方面軍参謀長には田中新一中将、第15軍司令官には片村四八中将が着任し新たに任務に邁進した。 南方総軍は9月26日作戦命令を示してビルマ方面軍の任務を改めた。これを要約すれば、「ビルマ南部の要域を確保することによってマレー半島、タイなどの内側の守ること」、「できるかぎりインド・中国間の連絡を封殺すること」の2つである〔防衛庁防衛研修所戦史部(1969a),p. 308.〕。 南方軍の隷下たるビルマ方面軍においては、田中新一方面軍参謀長を中心として将来の作戦指導について検討していた。方面軍は新たな南方軍命令に基づき、9月末作戦指導要領の腹案を策定した。これによれば、マンダレー付近と同地以南イラワジ湖畔正面に対する作戦を「盤作戦」とし、これを担当する第15軍は英印軍と決戦を志向するものとされていた。根本方針は、方面軍は戦略的には持久するが、戦術的には積極的に反撃をし、それによって持久目的を達するということである。木村兵太郎方面軍司令官は決戦に陥ることで持久目的を達せなくなると渋ったが、田中参謀長の強引な主張に負けて認可した〔。 連合軍側では、ビルマにおいて総反攻を開始した。1944年秋に決定された東南アジア戦域軍作戦計画「キャピタル」の要旨は以下の通りである。 #第14軍はチンドウィン河を渡河前進し、チンドウィン河とイラワジ河との間の地域を占領(マンダレー占領も含む) #北部戦区軍と中国遠征軍はタベイキン~モゴック~ラシオの線に前進する #第15軍団はアラカン地区で限定攻撃、連合軍航空基地の確保、援護 #それらの作戦の進展に伴い、海上と空挺攻撃により1945年3月にラングーン占領(ドラキュラ作戦) これに基づき、英第14軍司令官ウィリアム・スリム中将はシュエポにおいて日本軍と決戦をしようと考えた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「イラワジ会戦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|