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イワン・ストロゴフ : ミニ英和和英辞書
イワン・ストロゴフ
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


イワン・ストロゴフ : ウィキペディア日本語版
イワン・ストロゴフ

イワン・ストロゴフIvan Strogoff、本名:Omer van der Schüren1939年3月12日 - 2009年11月)は、ベルギー出身のプロレスラー
北米イワン・コロフに先駆けるロシア人ギミックのパワーファイターとして、ヨーロッパ各国を主戦場にヒールのポジションで活躍した。
== 来歴 ==
来日時のパンフレットでは、出身はベルギーだが両親はソビエト連邦からの移民であるとされる〔。スキンヘッドに口髭の巨漢ヒールとして欧州各国のトーナメントに出場し、1968年ハノーバー・トーナメントではレネ・ラサルテス清美川と対戦。翌1969年5月18日、パリで行われたIWA世界タッグ王座の初代王者チーム決定戦にモンスター・ロシモフと組んで出場したが、豊登&ストロング小林に敗れ戴冠を逸した。
1970年3月、国際プロレスの『第2回ワールド・チャンピオン・シリーズ(第2回IWAワールド・シリーズ)』に初来日。欧州での因縁を残す清美川やストロング小林、グレート草津サンダー杉山、そして前回優勝者のビル・ロビンソンとも覇を争った〔。国際プロレスには1973年1月の『新春パイオニア・シリーズ』にもラリー・ヘニングらと共に再来日している。
その後、ヨーロッパでは1974年8月27日に、ドイツミュンスターにてローラン・ボックと対戦。以降、1970年代後半はドイツを活動拠点に、オットー・ワンツ、パット・ローチビッグ・ジョン・クインらと抗争。1978年11月にはドルトムントにてドン・レオ・ジョナサンとの大型対決も行われた。
1980年代前半もドイツおよびオーストリアを主戦場に、オットー・ワンツが主宰していたCWA(キャッチ・レスリング・アソシエーション)などで活動。スティーブ・ライトトニー・セント・クレアーデビッド・テイラーなどの英国勢や、アメリカから遠征してきたエド・ウィスコスキーとも対戦した。
1984年8月には新日本プロレスへの参戦が発表されたが中止となり、11年ぶりの来日は実現しなかった。その後はリングを離れるも、1989年から1990年にかけて、CWAに単発出場していた。
2009年11月、70歳で死去〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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