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イングランディーレとは日本の競走馬である。2004年に天皇賞(春)を勝利した。また、そのモデル競走となったアスコットゴールドカップにも出走した。 ==戦績== デビューは2歳の夏。当初はダートを主体に使われていた。3歳の終わりに格上挑戦ながらステイヤーズステークスに出走しホットシークレットの4着に食い込む。自己条件6着のあと、ダイヤモンドステークス(東京競馬場のスタンド増設工事の影響により中山競馬場で施行)に出走する。8番人気という低評価であったが、雨で緩んだ馬場と52kgの軽いハンデキャップを活かして逃げ切り勝ちをおさめ、重賞初制覇となる。これが芝での初勝利であった。さらに日経賞でも、4コーナーで先頭に立つとバランスオブゲーム以下を押し切り重賞を連勝する。 迎えた天皇賞(春)で、フルゲート18頭中5番人気に支持されるが、ヒシミラクルの激走の前に9着に敗れる。その後は再びダート路線へ。ブリーダーズゴールドカップ、白山大賞典を連勝するもJBCクラシックではアドマイヤドンにかなわず6着に敗れている。その後も、ステイヤーズステークス4着、名古屋グランプリ5着と勝ち切れなかった。 2004年は船橋競馬場で行われたダイオライト記念に出走し、不良馬場の中、2着に入る。次走の天皇賞(春)では他にも有力馬が多く10番人気に過ぎなかった。ゲートが開くと、鞍上の横山典弘は押して先頭に立ち、逃げを打つ。一時は20馬身を超えるリードを作った逃げであったが、ネオユニヴァースやゼンノロブロイ、リンカーンといった差し馬が揃っており、どの馬も牽制しあってイングランディーレに誰も鈴を付けに行かないままレースは進んでいった。さすがに直線では脚色が鈍ったものの、そのまま2着ゼンノロブロイに7馬身差をつけて逃げ切った。鞍上の横山は、同じ京都競馬場のGI菊花賞をセイウンスカイで逃げ切った実績があり、好騎乗が光る競走となった。レース後の勝利ジョッキーインタビューでは「セイウンスカイに乗っているようでした」と語っていた。 その後、イギリスのアスコット競馬場に遠征してアスコットゴールドカップに出走するも、天皇賞のようにレースを作って行く事ができず、9着に敗れてしまう。日本に帰国し、ブリーダーズゴールドカップ2着の後、左前浅屈腱炎を発症。1年3ヶ月の休養の後2005年11月5日に復帰した。休養期間が長すぎた為に規定でハンデキャップ競走のアルゼンチン共和国杯に使えずカシオペアステークスを復帰戦にするも、62kgという酷量や長期休養などが響き、最下位に敗れてしまった。続くステイヤーズステークスも10着と大敗し、休養に入る。復帰は2006年8月5日のみなみ北海道ステークス。そのレースで3着と健闘し、続いてブリーダーズゴールドカップに出走した。3年前に勝利したこのレースでの復活勝利が期待され3番人気まで推されたが結果は6着に敗れた。その後、脚部不安で9月29日登録を抹消された。 引退後はエアスマップと共に韓国の金岳(クムアク)牧場で種牡馬になることが決定した。産駒には2012年のコリアンダービー優勝馬チグミスンガンがいる。チグミスンガンは競走馬引退後韓国で種牡馬入りし、イングランディーレにとっても初の後継種牡馬となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「イングランディーレ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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