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インジー伯 : ミニ英和和英辞書
インジー伯[はく]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [はく]
 【名詞】 1. count 2. earl 3. eldest brother 4. uncle 5. chief official 

インジー伯 ( リダイレクト:ハントリー侯爵 ) : ウィキペディア日本語版
ハントリー侯爵[はく]

ハントリー侯爵()は、イギリス侯爵位。スコットランド貴族
1445年創設のハントリー伯爵位を前身とし、1599年に第6代ハントリー伯爵が叙されたのに始まる。1684年に4代ハントリー侯爵ジョージ・ゴードンゴードン公爵に叙せられ、一時その従属爵位となったが、ゴードン公爵位は1836年に絶えている。一方ハントリー侯爵位は分流に継承されて現存している。
== 歴史 ==

スコットランドのの長である(-1470)は、1445年7月3日スコットランド貴族爵位「ハントリー伯爵(Earl of Huntly)」に叙された。
2代ハントリー伯(-1501年)や、3代ハントリー伯(-1524)の長男ゴードン卿(-1517)はスコットランド国王の娘を妻に迎えている〔。
6代ハントリー伯(1562–1636)は、1599年4月17日にスコットランド貴族爵位「ハントリー侯爵(Marquess of Huntly)」「インジー伯爵(Earl of Enzie)」「バデノックのゴードン卿(Lord Gordon of Badenoch)」に叙せられた

2代ハントリー侯(1592–1649)は、特別継承権で彼か彼の父の死後に次男(1620頃-1649)に継承されるに叙せられている。その規定通り初代ハントリー侯の死後にジェイムズは第2代アボイン子爵となったが、子供を残さずに父の2代侯に先立ったため同子爵位は2代で廃絶している。2代侯の長男も子供無く先だっていたのでハントリー侯爵位は三男 (1626頃–1653)が継承している。また四男はスコットランド貴族「」と「ストラサヴォン及びグレンリベットの第9代ゴードン卿(Lord Gordon of Strathavon and Glenlivet)」に叙せられている。後にこのアボイン伯爵家がハントリー侯爵位を継承することになる〔。
4代ハントリー侯ジョージ・ゴードン(1649–1716)は、1684年11月1日にスコットランド貴族爵位「ゴードン公爵(Duke of Gordon)」、「ハントリー侯爵(Marquess of Huntly)」「ハントリー=インジー伯爵(Earl of Huntly and Enzie)」、「インヴァーネス子爵(Viscount of Inverness)」、「バデノック、ロシャベール、ストラサヴォン、ベルモア、オーチドン、ガースィー及びキンカーディン卿(Lord Badenoch, Lochaber, Strathavon, Balmore, Auchidon, Garthie and Kincardine)」に叙せられた。しかしこれらの爵位群は、5代ゴードン公爵ジョージ・ゴードン(1770–1836)が後継者なく死去したことで廃絶している〔(後に女系の子孫であるリッチモンド公爵レノックス家が新規に連合王国貴族としてゴードン公爵位を与えられている)。
ハントリー侯爵位のみ2代侯に遡っての分流である第5代アボイン伯爵ジョージ・ゴードン(1761–1853)に継承された。しかしこの際、ハントリー侯爵位と一緒に創設されたはずのインジー伯爵位とバデノックのゴードン卿の爵位の継承は認められなかった。またハントリー伯爵位は女系継承が可能な爵位との反論があり、リッチモンド公爵家が継承者である可能性があるため、やはり継承を認められなかった〔。しかし彼は先立つ1794年にスコットランド貴族爵位「アボイン伯爵(Earl of Aboyne)」と「ストラサヴォン及びグレンリベットの第9代ゴードン卿(Lord Gordon of Strathavon and Glenlivet)」を継承しており、また1815年には連合王国貴族爵位「アバディーン州におけるモーヴァンのメルドラム男爵(Baron Meldrum, of Morven in the County of Aberdeen)」に叙されているため、これらがハントリー侯爵位の新たな従属爵位となった〔。
以降今日まで彼の子孫によってそれらの爵位は継承され続けている。2015年現在の当主は13代ハントリー侯(1944-)である〔。
本邸はスコットランドアバディーンシャーにあるである〔。一族のモットーは「計略ではなく勇気を持て (Animo Non Astutia)」〔。''」と「ストラサヴォン及びグレンリベットの第9代ゴードン卿(Lord Gordon of Strathavon and Glenlivet)」に叙せられている。後にこのアボイン伯爵家がハントリー侯爵位を継承することになる〔。
4代ハントリー侯ジョージ・ゴードン(1649–1716)は、1684年11月1日にスコットランド貴族爵位「ゴードン公爵(Duke of Gordon)」、「ハントリー侯爵(Marquess of Huntly)」「ハントリー=インジー伯爵(Earl of Huntly and Enzie)」、「インヴァーネス子爵(Viscount of Inverness)」、「バデノック、ロシャベール、ストラサヴォン、ベルモア、オーチドン、ガースィー及びキンカーディン卿(Lord Badenoch, Lochaber, Strathavon, Balmore, Auchidon, Garthie and Kincardine)」に叙せられた。しかしこれらの爵位群は、5代ゴードン公爵ジョージ・ゴードン(1770–1836)が後継者なく死去したことで廃絶している〔(後に女系の子孫であるリッチモンド公爵レノックス家が新規に連合王国貴族としてゴードン公爵位を与えられている)。
ハントリー侯爵位のみ2代侯に遡っての分流である第5代アボイン伯爵ジョージ・ゴードン(1761–1853)に継承された。しかしこの際、ハントリー侯爵位と一緒に創設されたはずのインジー伯爵位とバデノックのゴードン卿の爵位の継承は認められなかった。またハントリー伯爵位は女系継承が可能な爵位との反論があり、リッチモンド公爵家が継承者である可能性があるため、やはり継承を認められなかった〔。しかし彼は先立つ1794年にスコットランド貴族爵位「アボイン伯爵(Earl of Aboyne)」と「ストラサヴォン及びグレンリベットの第9代ゴードン卿(Lord Gordon of Strathavon and Glenlivet)」を継承しており、また1815年には連合王国貴族爵位「アバディーン州におけるモーヴァンのメルドラム男爵(Baron Meldrum, of Morven in the County of Aberdeen)」に叙されているため、これらがハントリー侯爵位の新たな従属爵位となった〔。
以降今日まで彼の子孫によってそれらの爵位は継承され続けている。2015年現在の当主は13代ハントリー侯(1944-)である〔。
本邸はスコットランドアバディーンシャーにあるである〔。一族のモットーは「計略ではなく勇気を持て (Animo Non Astutia)」〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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