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インターナショナル・ヘビー級王座(インターナショナル・ヘビーきゅうおうざ)は、かつてNWAが認定、日本プロレスが管理し、その後全日本プロレスに管理権が移ったフラッグシップタイトルである。日本プロレス界で現存するタイトルでは最古の歴史を持ち〔現存するタイトルとしてはアジアタッグ王座のほうが創設は古いが、同タイトルは初代王者が防衛戦を行わず4年以上にわたり休眠状態にあったため、どちらが最古かは考え方により異なる。〕「日本マット界の至宝」とも言われるほど権威も高い。 現在は三冠ヘビー級王座を構成する3本のベルトのうちの一つである。 == 概要 == === 力道山時代 === この王座は、NWA本部が1958年6月に日本を始め世界各国で積極的にNWA世界ヘビー級王座の防衛戦を行って防衛を続けたルー・テーズの実績を認めて、NWA世界ヘビー級王座とは別に、新たにルー・テーズを初代のインターナショナル・ヘビー級王者として認定したことによって始まったものである。このインターナショナル・ヘビー級王座が1958年8月27日、アメリカ合衆国・カリフォルニア州ロサンゼルスのオリンピック・オーディトリアムでのタイトルマッチで力道山がルー・テーズに勝利し、王座が移動した(なお、この時点ではベルトは存在せず、帰国後に力道山が作成した。2度目に作られたものが、のちにジャイアント馬場に寄贈されPWF王座となる)。これ以後、日本に定着することになる。 インターナショナル選手権が力道山に移ってからは日本プロレスの至宝として東京・大阪などの大会場でタイトルマッチが行われ、ドン・レオ・ジョナサン、エンリケ・トーレス、サニー・マイヤース、プリンス・イヤウケア、ミスターX、ゼブラ・キッド、ジェス・オルテガ、パット・オコーナー、バディ・オースチン、ザ・デストロイヤーなどと名勝負を繰り広げた(グレート・アントニオやヘイスタック・カルホーン、ムース・ショーラックなどの異能派の挑戦も受けている)。力道山は一度も王座を明け渡すことなく、19回連続防衛(ただし反則負け防衛が1回ある)の後に1963年12月に急死。その後、この王座は力道山一代限りとして封印される。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「インターナショナル・ヘビー級王座」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 NWA International Heavyweight Championship 」があります。 スポンサード リンク
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