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闘争民主党(とうそうみんしゅとう、)は、インドネシアの政党である。自由主義に立脚した中道左派。インドネシアの初代大統領スカルノの娘であり、インドネシア第5代大統領となったメガワティ・スカルノプトリを領袖とする政党である。政党のシンボルカラーは赤、シンボルマークは牡の闘牛。略称はPDI-P。第5代大統領メガワティ・スティアワティ・スカルノプトゥリ、第7代大統領ジョコ・ウィドドの所属政党である。 現地語の表記では、「Partai Demokrasi Indonesia」(インドネシア民主党)と「Perjuangan」(闘争)のあいだにはっきりと「-(ハイフン)」が挿入されており、正しくは「インドネシア民主党闘争派」とでも訳すのがふさわしいが(後述する党の来歴を参照)、日本国内のメディアでは「(インドネシア)闘争民主党」と表記されることがほとんどである。本稿でもその用例に従う。 == 来歴 == === インドネシア国民党時代 === この政党の来歴をもっとも古くまでさかのぼれば、オランダ領東インド時代の1927年〔7月4日、民族主義者のグループがバンドゥン会合を持ち、PNI(インドネシア国民同盟)の創立を支援した。1928年5月、同盟が党に変更され「インドネシア国民党」(PNI)となった。イ・ワヤン・バドリカ著 2008年 195ページ〕、のちに初代大統領となるスカルノによって結成されたインドネシア国民党(Partai Nasional Indonesia、略称PNI)にまで行き着くことになる。 インドネシア国民党は、インドネシアの独立と民族の統一をとなえて〔目的はインドネシアの独立であり、自立、非協調主義、マルハエニズム(Marhaenisme)を三原則とした。イ・ワヤン・バドリカ著 2008年 195ページ〕、当時の植民地政府と鋭く対立したが、オランダ領東インド政府はPNIに対し1928年5月と1929年7月の2回にわたり注意を与えた後、その年の12月29日一斉に幹部を逮捕し、翌年12月末に刑を下した。指導者スカルノらの逮捕とともに、執行部は党員の安全を考慮して1931年4月25日に党の解体を決定した〔イ・ワヤン・バドリカ著 2008年 195-196ページ〕。その後、日本軍政期とインドネシアの独立宣言を経て、1946年に再結成され、1955年の第1回総選挙では「4大政党」の1つに数えられるほどの議席を得た。 スカルノが議会制民主主義を停止した「指導される民主主義」期においても、スカルノを支える勢力の1つとしての地位を維持したが、1965年のスカルノの失脚とともに党勢は衰えた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「闘争民主党」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Indonesian Democratic Party - Struggle 」があります。 スポンサード リンク
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