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インパール作戦(インパールさくせん、日本側作戦名:ウ号作戦(ウごうさくせん))とは、1944年(昭和19年)3月に〔NHKアーカイブス 〕日本陸軍により開始され7月初旬まで継続された、援蒋ルートの遮断を戦略目的としてインド北東部の都市インパール攻略を目指した作戦のことである。 補給線を軽視した杜撰(ずさん)な作戦により、多くの犠牲を出して歴史的敗北を喫し、無謀な作戦の代名詞として現代でもしばしば引用される。 == 日本軍作戦立案の経緯 == === 二十一号作戦 === インドへの侵攻作戦という構想は、ビルマ攻略戦が予想外に早く終わった直後から存在した。インド北東部アッサム地方に位置し、ビルマから近いインパールは、インドに駐留するイギリス軍の主要拠点であった。ビルマ-インド間の要衝にあって、連合国から中国への主要な補給路(援蒋ルート)であり、ここを攻略すれば中国軍(国民党軍)を著しく弱体化できると考えられた〔戸部(1991年)、142-143頁。〕。 日本の南方軍は、「二十一号作戦」と称して東部インドへの侵攻作戦を上申した。1942年(昭和17年)8月下旬、戦争の早期終結につながることを期待した大本営は、この意見に同調して作戦準備を命じた。参加兵力は第15軍の第18師団を主力とする2個師団弱とされた。イギリス軍の予想兵力10個師団に対して著しく少ないが、ビルマ戦の経験からはこの戦力比でも勝算があると考えたのである〔。 しかし、二十一号作戦の主力に予定された第15軍及び第18師団(師団長:牟田口廉也中将)はこの計画に反対した。現地部隊は、雨季の補給の困難を訴えた。乾季であっても、山岳や河川による交通障害、人口希薄地帯ゆえの徴発の困難などが予想されると主張した〔。 現地部隊の反対に加え、ガダルカナル島の戦いの発生もあったため、同年11月下旬、大本営は二十一号作戦の実施保留を命じた。ただし、あくまで保留であったため、現地では作戦研究が続行されるべきことになった〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「インパール作戦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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