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インヨー郡(インヨーぐん、、イニョー郡と表記されることもある)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州南部に位置する郡である。郡庁所在地はインデペンデンスである。2000年国勢調査での人口は17,945人だったが、2010年での人口は18,546人となり、3.3%増加した。 シエラネバダ山脈の東側、カリフォルニア州中東部にあるヨセミテ国立公園の南東に位置している。郡内にはオーウェンズ川バレーがあり、シエラネバダ山脈、ホワイト山脈およびインヨー山脈に囲まれている。大陸アメリカ合衆国では最高峰であるホイットニー山(海抜4,418メートル)が郡の西部、トゥーレアリ郡との郡境にある。北アメリカで最も標高の低いデスバレー国立公園のバッドウォーター盆地(海面下86メートル)が郡の東部にある。この2つの地点は互いを視認することができないが、パナミント・バレーの上流、デスバレーの西側にあるパナミント山脈からは2地点を見ることができる。 == 歴史 == 現在インヨー郡となっている所は数千年前からモウノウ族、コソ族、ティンビシャ族およびカワイース族インディアンが居住していた。彼らはティンビシャ語やモウノウ語を話し、モウノウの伝承を持っていた。その子孫はオーウェンズ川バレーやデスバレー国立公園の中にある土地を母国として住み続けていた。 インヨー郡は、1864年にモノ郡とトゥーレアリ郡の一部から創設された未組織のコソ郡の領土から1866年に形成された〔 California, Theodore Henry Hittell, The general laws of the State of California, from 1850 to 1864, H.H. Bancroft, San Francisco, 1865. p.190 〕。1870年にはモノ郡の一部を、さらに1872年にはカーン郡とサンバーナーディーノ郡一部を併合して面積を増やした。 インヨー郡は長年にわたって、モウノウ族インディアンの母国にある山地の名前を採って命名されたと考えられてきた。実際にはオーウェンズ川バレーの東にある山地の名前を、最初にこの地を訪れた白人が土地のパイユート族に尋ねた時に誤って伝えられたものであると考えられるようになった。 土地のパイユート族はあれがインヨーの土地であると答えた。彼らはその土地がインヨーという名前の男が首長であるショショーニ族に属しているということを意味していた。1849年にマンリー遠征隊がカリフォルニア西部の金脈を求めて遠征したときに道に迷い、デスバレーに入り込んだ時が最初の白人とインディアンが接触したときであり、このときパイユート・ショショーニ族のパナミント・バンドの首長の名前がインヨーだった。白人はそれを山地の名前だと思い込んだ。 デスバレー初期の多くの話に登場する「インディアン・ジョージ」はインヨーの息子である。インディアン・ジョージのショショーニ族の名前は「バーバンダサバヌキー」であり、「走り去った少年」を意味している。これは1849年12月に白人がファーネス・クリーク・ウォッシュを降りてきたときに、ショショーニ族が見たことも無かった白人と荷車さらに大きなバッファローに怯えたことから付けられた名前だった。バーバンダが100歳頃の1940年、教育を受けたパナミント・ショショーニ族のJ・C・ボイルズがパナミント・バレーに戻ってきて、バーバンダに1849年の出来事を含めその少年時代について長々と質問した。このときバーバンダは父の名前をインヨーだと語った〔The Desert Magazine, February, 1940〕。 1913年、成長するロサンゼルス市の水需要に応じるために、オーウェンズ川の水を引いてロサンゼルス上水路に繋げた。その時点からオーウェンズ川バレーの文化と環境は大きく変わってきた。1910年代から1930年代、ロサンゼルス水道電力局がバレーの水権や支配権の多くを買収した。1941年、ロサンゼルス水道電力局はモノ盆地の上流までその用水路を延伸した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「インヨー郡 (カリフォルニア州)」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Inyo County, California 」があります。 スポンサード リンク
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