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『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』 (In Through the Out Door)は、イギリスのロックバンド、レッド・ツェッペリンの第8作目にあたるスタジオ・アルバム。1979年8月15日発売。プロデューサーはジミー・ペイジ。レコーディング・エンジニアはレイフ・マッセス、及びレンナート・オストランド。1980年9月にドラマーのジョン・ボーナムの急逝により、バンドにとって最後のオリジナルアルバムとなった。 ==経緯== 1977年4月、バンドは2年ぶりとなるアメリカン・ツアーに出る。チケットはどの会場も完売で好調な滑り出しに見えたが、ツアー中の7月23日、オークランド・コロシアムのバックステージで、ボーナムとマネージャーのピーター・グラント、リチャード・コールらが些細な事から警備員を暴行し逮捕された(事件は翌1978年2月に執行猶予処分となり解決した)。さらに直後の7月26日、ロバート・プラントの息子、カラックが腹部感染症により急逝。悲嘆にくれたプラントは急遽帰国し、以後しばらくの間公衆の面前から姿を消す。ツアーの残り7公演はキャンセルされ、レッド・ツェッペリンは長い活動休止期間に入った。バンドが休止期間に入っている間に、音楽シーンではパンク・ムーブメントが起こり、ツェッペリンのような1970年代に隆盛を極めたロックバンドは攻撃の対象にされ、しきりに解散説が語られるようになった。当時、ペイジは解散説を強く否定したが、プラントは1993年のインタビューで「息子が死んだ時、俺はツェッペリンとシンガーとしてあるべき精神を捨てた」と、当時の心境を打ち明けている〔シンコー・ミュージック・ムック『レッド・ツェッペリン―幻惑されて―』クリス・ウェルチ著、中村美夏訳、1999年。ISBN 4-401-70012-0、109-110頁〕。1978年5月、ペイジとグラントはバンドを召集、1ヶ月に及ぶミーティングを行った。表向きは新曲制作のリハーサルという事になっていたが、実際にはバンド継続の意思を確認し合うためのものだった。結果これが功を奏し、新作の準備が始められることとなった〔シンコー・ミュージック・ムック『レッド・ツェッペリン Q スペシャル・エディション』シンコー・ミュージック刊、2004年。ISBN 4-401-61852-1、94頁〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「イン・スルー・ジ・アウト・ドア」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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