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イヴァン3世 : ウィキペディア日本語版
イヴァン3世[いう゛ぁん3せい]

イヴァン3世ヴァシーリエヴィチロシア語:Иван III Васильевич;ラテン文字転写の例:Ivan III Vasilevich, 1440年1月22日 - 1505年10月27日)は、モスクワ大公(在位1462年 - 1505年)。
ヴァシーリー2世セルプホフウラジーミルの孫娘であるボロフスクの公女マリヤ・ヤロスラヴナの長男。イヴァン大帝(Иван Великий)の異称で知られ、ルーシ北東部を「タタールのくびき」から解放し、モスクワ大公国の支配領域を東西に大きく広げて強力な統一国家を建設した名君と評価される。
==生涯==

=== ロシア統合 ===
イヴァンは即位直後から侵略、婚姻、相続といった様々な手段を使い近隣諸地域の併合を続けていった。まず1463年にヤロスラヴリの諸公に、1474年にはロストフの諸公にそれぞれ統治権を譲渡させた。イヴァンは1465年に妹アンナ・ヴァシーリエヴナをリャザン大公ヴァシーリー3世に嫁がせてリャザン公国を保護国化し、さらに1503年に公国の半分を自領に組み入れた。
またトヴェリ公国はイヴァンの最初の妻マリヤ・ボリソヴナの兄ミハイル3世が統治していたが、この義兄はポーランド王およびリトアニア大公のカジミェシュ4世と結んでイヴァンに敵対しようと企んで、逆にイヴァンによって1485年にトヴェリを奪われた。イヴァンは別々の法体系を持つ諸地域を自領に組み入れていったが、モスクワ大公国全域に適用される1497年法典を施行してこれに対処し、中央集権体制への先鞭をつけた。この法典は訴訟規則や刑罰を規定し、また聖ユーリーの日に認められていた農民の移動の自由などにも法的規制を設けた。
大公国内の分領制の伝統は続いていたが、イヴァンはその弊害を最小限に抑える努力を怠らなかった。1462年、大公位の継承と同時にイヴァンは大公国領のおよそ半分を手に入れたが、残りの領土は慣習に従い4人の弟達に分領として与えられた。しかしイヴァンは2人の弟が子供なくして死ぬと、慣例を破って彼らの所領であるドミトロフヴォログダを回収した(1473年、1481年)。イヴァンのこうした政策に、存命中の2人の弟のうちウグリチアンドレイは反対するようになったため、イヴァンはアンドレイを捕えて獄死させた。1486年にもモスクワ大公家の分家が支配するベロオーゼロ公国が併合された。
治世中の最も大規模な併合政策は1478年のノヴゴロド共和国に対するものだった。1471年イヴァンはノヴゴロドの親リトアニア政権を遠征によって倒し、1477年には直接統治への移行を強要した。ノヴゴロドの貴族たちは1500年頃までに所領を奪われて他地域に強制移住させられ、ノヴゴロド貴族の旧領は大公国の軍人たちに封地(ポメスチエ)として与えられた。イヴァン3世の治世の終わりには、ロシアに残るモスクワ国家以外の法的な独立国家は、イヴァンの妹アンナが治めるリャザン公国およびプスコフ共和国のみとなったが、この二国も実質的にはモスクワの支配下にあった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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