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イヴァン・リギーニ(、1991年4月16日 - )は、ロシア、モスクワ出身、イタリアのフィギュアスケート選手(男子シングル)。ロシア名はイヴァン・ヴァジモヴィチ・バリエフ()。 イタリアフィギュアスケート選手権優勝3回。 == 経歴 == 2007-2008シーズン、ISUジュニアグランプリのハルギタ杯で2位、クロアチア杯で2位となりJGPファイナルに初進出する。JGPファイナルでは7位となる。ロシアJr.選手権で優勝し、世界ジュニア選手権に出場し7位となる。 2008-2009シーズン、JGPチェコスケートで2位、JGPクロアチア杯で2位となり2年連続でJGPファイナルに進出を果たす。ファイナルでは4位となる。 2009-2010シーズン、怪我のためにシーズン全ての試合を欠場〔Un nuovo acquisto dalla Russia per l'Italia? 〕。 2011-2012シーズン、ゴールデンスピンで3位となり、シニアの国際大会で初めてのメダルを獲得。ロシア選手権では自己最高の6位。 2012-2013シーズン、国際大会に2試合に出場した後は国内大会を含め試合には出場をしなかった。2013年5月16日、イタリアへの移籍がロシアフィギュアスケート連盟に正式に承認された。なおニース杯に出場し、他国へ移籍して12ヶ月間は試合に出場できないという国際スケート連盟のルールに抵触するため、ソチオリンピックの最終予選であるネーベルホルン杯には出場できない〔〕。 2013-2014シーズン、登録名をバリエフから母親の姓であるリギーニに変更。メラーノ杯でイタリア代表としてデビューし5位。初出場したイタリア選手権では初優勝。しかし、イタリアのオリンピック代表は国際大会2つとイタリア選手権のフリースケーティングの総合スコアで選考されるため、ポール・ボニファシオ・パーキンソンが代表に決まった〔Ultimo Ranking parziale maschile (21/12/2013) 〕。世界選手権では13位に入った。シーズンオフにはコーチをミヒャエル・フースに変更し、練習拠点をドイツのオーベルストドルフに移した〔〕。 2014-2015シーズン、グランプリシリーズに出場。初出場の欧州選手権では8位に入るも、世界選手権では25位で、FS進出を逃した。 2015-2016シーズン、疲労骨折の影響でネーベルホルン杯の出場を取り止めた。ニース杯はSPの6分練習中にブレードが割れた。SPは演技を行い8位に入るがFSは棄権した。欧州選手権では6位入賞。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「イヴァン・リギーニ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Ivan Righini 」があります。 スポンサード リンク
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