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イヴリン・ハート : ミニ英和和英辞書
イヴリン・ハート[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

イヴリン・ハート : ウィキペディア日本語版
イヴリン・ハート[ちょうおん]
イヴリン・ハートEvelyn Anne Hart1956年4月4日 - )は、カナダバレエダンサーである。ロイヤル・ウィニペグバレエ団(:en:Royal Winnipeg Ballet)のプリマバレリーナを長年にわたって務め、世界各国でゲストダンサーとして活躍した。
== 経歴 ==
1956年、オンタリオ州トロント長老派教会に属する牧師の家庭に生まれ、双子の妹がいた〔『バレリーナは語る』71-72頁。〕。父は音楽愛好家であり、家族も音楽に親しんでいた〔。幼いころの夢は、花嫁かお姫様になることでバレエダンサーではなかったが、ある演劇祭で見た芝居に魅了されて女優を志望するようになった〔。
14歳のとき、オンタリオ州ロンドンのドロシー・カーターのもとでバレエを習い始め、トロントのカナダ国立バレエスクール(:en:The National Ballet School of Canada)を経てロイヤル・ウィニペグバレエスクールに移った〔『バレリーナは語る』72頁。〕〔『バレエ・ピープル101』124頁。〕〔『バレエ音楽百科』265頁。〕〔le Gala des étoiles - Evelyn Hart 2011年8月20日閲覧。 〕。本人の言によれば、カナダ国立バレエスクールでは最初3回も入学を拒否されたという〔〔。その衝撃から一時は拒食症を患っていた〔。
17歳のころからはバレエのレッスンに専念できるようになり、ロイヤル・ウィニペグバレエスクール在籍中の1974年に舞台に初出演した〔『オックスフォード バレエダンス辞典』385-386頁。〕。1976年にロイヤル・ウィニペグバレエ団に入団して2年後にソリストに昇格し、さらに1年後、プリンシパルとなった〔〔〔『バレリーナは語る』70頁。〕。
ハートが注目されるようになったのは、1980年のことだった。その年の5月から6月にかけて東京と大阪を会場にして開催された第3回日本世界バレエ・コンクールでは、デヴィッド・ペレグリンと組んでノバート・ヴェサック振付の『ビロング』という作品を踊り、銅賞(3位)を受賞した〔〔〔『バレリーナは語る』72-73頁。〕〔 2011年8月20日閲覧。〕。日本世界バレエ・コンクールの3週間後に行われたヴァルナ国際バレエコンクールでは、金賞を受賞した。このときの得点は、ウラジーミル・ワシーリエフ以後で最高だったといわれる〔。この2つのコンクールへの出場は、ハートにウィニペグ以外の広い世界への扉を開くことになった。実際に振付家ピーター・ライト(:en:Peter Wright (dancer))などから他のバレエ団への入団勧誘があったが、当時のハートは自らのテクニックに自信が持てず、ロイヤル・ウィニペグバレエ団に残ることを選んだ〔『バレリーナは語る』73頁。〕。
古典と現代作品の両方を踊りこなし、『ジゼル』のタイトルロールや『白鳥の湖』のオデット=オディール、『ロメオとジュリエット』のジュリエット役などで評価が高かった。特に『ジゼル』では、1幕の「狂乱の場」でいきなり髪が乱れて不自然になるのを防ぐため、あらかじめ髪の毛を少しおろすなど細やかに配慮し、2幕の幕切れではアルブレヒトの命を救うだけではなく、ジゼル自身の魂も浄化され救済されるという表現を見せた〔『バレリーナは語る』76-85頁。〕。現代作品では、「音楽が命じるままに踊ればいい」という彼女自身の言葉が示すように、音楽性豊かな舞台で観客と批評家の双方から評価された〔〔『バレリーナは語る』85-87頁。〕。
カナダを代表するバレエダンサーとして活躍し、世界各地で開催されるガラ公演出演の他に、オランダ国立バレエ団、ミュンヘンバレエ団、日本バレエ協会などの公演に客演した〔〔日本バレエ協会 都民芸術フェスティバル公演の記録 公益社団法人日本バレエ協会ウェブサイト、2011年8月20日閲覧。〕。1983年にカナダ勲章4等オフィサーに叙せられ、2006年にはカナダ王立協会の会員となった〔〔〔 カナダ王立協会ウェブサイト、2011年8月20日閲覧。〕。また、2000年にはカナダ・ウォーク・オブ・フェーム(:en:Canada's Walk of Fame)で星を獲得している〔CANADA’S WALK OF FAME Star map 2011年8月20日閲覧。〕。
2005年に、ロイヤル・ウィニペグバレエ団を去った。2006年8月23日にオンタリオ州ロンドンで引退公演を行い、30年にわたる舞台生活に別れを告げた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「イヴリン・ハート」の詳細全文を読む




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