|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。
イヴ・イェルサン(Yves Yersin、1942年10月4日 - )は、スイスの映画監督、テレビプロデューサーで、長篇劇映画『ささやかな遁走』(1979年)で知られる。 == 来歴・人物 == スイスのヴォー州ローザンヌ生まれ。父は彫刻家で画家のアルベール=E・イェルサン、母はマルグリット(旧姓アエビ)。1959年 - 1961年、ヴォー州ヴヴェにあるヴェヴェ写真学校で写真を学ぶ。連邦資格取得。1962年、広告写真を専攻、1963年 - 1964年、カメラマンとなる。 1964年、ローザンヌでの「スイス博(Expo64)」でセノグラフィ(舞台監督)、ディアプロラマ(Diaporama、スライドショー)の「ポリヴィジョン Polyvision」の演出時の演出家ルネ・クルーの助手。ONST館で、64台の映写機を使用し、直径35メートル、水平360度・垂直180度の映像ドームを稼動させた。 同1964年からバーゼルのスイス工芸大衆伝統学院(l'Institut suisse des Arts et Traditions populaires)のためにドキュメンタリーの演出を始める。1967年、映画製作会社「ミロス・フィルム」(レ・ヴェリエール、ローザンヌ)設立に参加し、同社製作のクロード・シャンピオン、フランシス・ロイセール、ジャック・サンドスとオムニバス映画『''Quatre d'entre elles''』で劇映画の演出をする。また同年、H・R・ギーガー、フレディ・ムーラー、フリッツ・E・メーダーと『''Swiss Made''』を共同監督する。またこの時期はスイスのテレビ局でフリーランスの編集技師をしていた。 1968年、 アラン・タネール、ジャン=ルイ・ロワ、ミシェル・ステー、クロード・ゴレッタ、ジャン=ジャック・ラグランジュが設立した製作会社「グループ5 ''Groupe de 5''」に、1971年、ラグランジュに代わって参加〔仏語版WikipediaYves Yersinではミシェル・ステーが''クロード・ステー''と誤植されていたので修正した。同Alain Tannerにはイェルサンの代わりにジャン=ジャック・ラグランジュが加えられていた。実際は1971年にイェルサンがラグランジュと交代しているので事実に従って文面を修正した。〕。 1971年、映画製作会社「ネモ・フィルム」(チューリッヒ)設立に参加。1972年から1977年までの時期は、フリーランスのテレビ演出家であった。1977年、映画製作会社「フィルム・エ・ヴィデオ・コレクティフ」(ローザンヌ)設立に参加。 1979年、劇映画『ささやかな遁走』を脚本・監督、編集も手がける。同作は、第32回カンヌ国際映画祭「ある視点部門」に出品され、ロカルノ国際映画祭でイェルサンはエキュメリック賞、主演のミシェル・ロバンが銅豹賞をそれぞれ受賞した。 1980年、撮影機材会社「フィルム・エ・ヴィデオ・コレクティフ・イマージュ」(ローザンヌ)、長篇映画に特化した製作会社「フィルム・エ・ヴィデオ・プロデュクシオン」(ローザンヌ)設立に参加。 1981年、ヴォー州ロールに住むジャン=リュック・ゴダール監督がローザンヌ市に依頼されて監督した短篇『フレディ・ビュアシュへの手紙』のなかで、ゴダールが「イヴ」と名を呼ぶ。それが、このローザンヌ生まれの地元の映画監督イヴ・イェルサンである。同作は、ゴダールと彼のパートナー、アンヌ=マリー・ミエヴィルの「ソニマージュ」社と、イェルサンの「フィルム・エ・ヴィデオ・プロデュクシオン」社の共同製作だった。 1980年から1983年にかけて、アジア諸国、アメリカ、カナダ、中央アメリカを2年間旅する。1983年 - 1984年、カリフォルニア大学バークレー校で語学と映画を学び、ニューヨークに移り、ジャン・ルノワール監督の作品のリメイクとして長篇劇映画『''Les Missionnaires''』を撮る。 1985年、ローザンヌに戻り、映画製作会社「シネ=マニュファクチュール」(ローザンヌ)設立に参加。さらに仲間の監督たちと「映画のためのヴォー州基金」を設立。ヴォー州立ローザンヌ美術学校に音響映像情報学科を設立、演出コースを担当。1986年、学科長に就任(1986年 - 1993年) スイス映画監督協会の代表を歴任(1975年 - 1976年)。連邦映画委員会メンバーに就任(1995年 - )。ミエヴィル監督の『そして愛に至る』(2000年)に共同出資している「フォンダシオン・ヴォードワーズ」が、彼の設立した「映画のためのヴォー州基金」である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「イヴ・イェルサン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|