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李 承浩(イ・スンホ、1981年9月9日 - )は、韓国出身のプロ野球選手(投手)。 == 経歴 == 1999年の1次ドラフトでサンバンウル・レイダースから指名されたが、同年限りでサンバンウルが経営難により解散となった。サンバンウルの選手保有権は、に創設された新球団SKワイバーンズに譲渡されたため、李承浩もSKに入団することになった。同年高卒新人ながら先発で活躍し10勝をあげ、球団創設初年度のチームの弱体投手陣を支え、同年のシドニー五輪野球韓国代表、2002年釜山アジア大会野球韓国代表にも選ばれた。SKの左のエースとして活躍し、には自己最多の15勝をあげた。しかし肘の故障に悩まされ手術を受け、からにかけて1軍登板がなかった。 に中継ぎとして復活し、4年ぶりの勝利を記録した。このアジアシリーズの埼玉西武ライオンズ戦では、7回から9回までの3回を無失点に抑え勝利に貢献した。 は第2回WBCの韓国代表に選ばれ、主に左のワンポイントとして起用された。この年のレギュラーシーズンから同僚として名前の読みが同じ李丞鎬(イ・スンホ、이승호)が移籍し、話題となった。左腕投手の2人は過去に何度か先発として直接対決をしたことがある。同年自己最多の68試合に登板し、左のリリーフの中心として活躍した。 は当初抑えとして20セーブを記録したが、後に先発へ転向し活躍した。 オフにはFA権を取得。11月12日にはポール・コブと代理人契約を結び、ロッテジャイアンツに4年契約で移籍した。背番号もSK時代と同じ20。2012年11月、2013年より1軍へ参加する新球団NCダイノスの特別指名を受け移籍し、たった1年でロッテを去った。NCでは登板機会が少なくなり、2014年は1軍出場がなかった。2015年は1軍で1試合のみの登板で終わりNCを退団。2016年よりSKに復帰した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「李承浩」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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